アンビバレントな僕らをゆるして - 4/5

12月のある週末。
ショッピングモールへ行こう、と風真くんが電話をくれたので、マリィはあわてて支度をした。
風真くんの好きな女の子らしさ全開のもこもこセーターとお気に入りの可愛いスカートに着替えて、髪を整え、顔に淡くファンデーションと、うっすら色づくリップクリームを塗った。

心はどこかうきうきしていた。

風真くんの家でキスをして以来――そのあと何度か風真くんの家でふたりの時間を過ごした。
けれど、すぐに文化祭で慌ただしくなって、ふたりきりで外出するのはずいぶん久しぶりだった。

前回、ふたりで遊びに出かけた時は、風真くんとマリィの関係性は今とは全然違っていた。
思い返すと、なんだかあどけなく、子どもっぽくじゃれあっていただけのような気さえしてしまう。
それくらい、今のマリィに見えている世界は全く違うものになってしまった。

「玲太くん!」
駅の改札前に立っている風真くんに遠くから手を振ると、彼は眩しそうに目を細めて手を振りかえしてくれた。
「なんだかにこにこしてるね?」
マリィがそう言って嬉しそうに駆け寄れば、
「嬉しそうなお前見てたら、つい」
と、すっかり気を許した様子で彼女を優しく抱きとめる。

マリィは風真くんのふかふかで肌触りのいいカシミアのマフラーに顔をうずめる形になった。
こんなに間近で風真くんの匂いを感じたのは久しぶりだったので、マリィはの心臓は破裂しちゃいそうなほどばくばく高鳴った。

風真くんはそんなマリィを愛おしそうに見つめ、彼女の耳元でそっとささやいた。
「なんだか思い出すな?最後にふたりで会ったときのこと」
風真くんはまたあのいじわるな笑みを浮かべていた。
彼はマリィを抱くとき、いつもこんなふうに笑うのだ。
マリィの脳内には最後に風真くんとふたりきりで会った日の記憶がフラッシュバックしていた。

こんなふうに、ざらざらした彼の声が何度もマリィの肌の上を撫ぜていった、あの日のことを。

***

クリスマス間近の週末にショッピングモールを行き交う人たちは、皆どこか楽しげな表情を浮かべていた。
ふたりはぐるりとお店を見て回り、風真くんはアンティークの腕時計のベルトを新調して、マリィは新しい手袋を買った。

めぼしいお店を一巡した頃、「すこしお茶でもしようか」と風真くんの提案でカフェに入ることになった。
名物のパフェが有名なその店ははばたき市内でも超有名店で、マリィもお気に入りだった。
ふたりは「夕飯前だしパフェははんぶんこしよう」と話しながらメニュー表を眺めた。

「あ、季節限定スイートポテトパフェ。これなんかどうだ?」
「そ、そうだね。じゃあそれで…」
風真くんがメニューを選ぶ時のお芋率は異常だった。
彼はただ、幼稚園の頃にマリィがお芋好きだったことを覚えているだけなのだが、当のマリィは内心(玲太くんって本当にお芋好きだよな…)と思っていた。
その後、風真くんがマリィの分の甘い飲み物をオーダーしようとするのを「最近わたし、苦いのもいけます」とマリィが制したので、結局ブラックコーヒー2つとスイートポテトパフェがオーダーされた。

注文を待っている間、風真くんはお手洗いに席を立った。
マリィは退屈紛れに、窓ガラスのむこうのクリスマスオーナメントが飾り付けられているショッピングモール内をぼんやりと眺めた。

すると、どうだろう。
マリィがよく見知った顔が、すぐ近くを通りがかった。
あの、マリィが中学生の頃に付き合っていた、ボーイフレンドである。

「あ!」
マリィが思わず声を上げると、彼も振り返った。
そして目をきらきらさせ、驚いたような素振りを見せた彼は、そのままツカツカと店内に入ってきた。
「――美奈子ちゃん!」
懐かしい声が、マリィの名前を呼んだ。
「斎藤くん!」
マリィも、ずいぶんひどい別れ方をしたことなどすっかり忘れ、偶然の再会にただただ驚いていた。
「今日は、お買い物?」
「うん。テニスのラケット、新調したんだ」
「そっか、テニスまだ続けてるんだね」
そんなふうに世間話をすこしはさんで、斎藤くんは急に真剣な表情をした。
「あのね、美奈子ちゃん、あの時は――本当にごめんなさい」
「あ、えと…それって」
「うん。美奈子ちゃんに別れ話を切り出した時。あまりに急だったし、ちゃんと理由も言わないで、俺…」
「たしかに、あの時はすごくびっくりした」
斎藤くんは苦しそうに顔をしかめた。
「あの時の俺に、もうすこし度量や勇気があれば、美奈子ちゃんをあんなに傷つけなくて済んだのに、ごめん。でも俺、不安で、耐えられなかったんだ…」
「不安?」
マリィは意外な彼の言葉に首を傾げた。
「うん。俺、高校生になってから、美奈子ちゃんの幼馴染ってひとが君の隣にずっといることが辛くて…でも、自分があの人に勝ってることなんて何ひとつなくてさ。正直、劣等感…っていうか」

ここまで聞いて、マリィははっとした。
思い出したのだ――学年演劇の練習の時、七ツ森くんが言っていたことを。
『マジ?!あんたに近づくヤカラをあんな間近で牽制してんのに?…いや、無自覚ってコワイわ〜』

マリィに「幼馴染」なんて呼べる人はこの世にたった一人しかいなかった。
そして、高校3年間ずっと彼女の隣にいたのも、彼以外にはあり得なかった。

今まで気づかなかった――あるいは気付こうとせず心の中で蓋をしていた事実が、彼女の前に突然現れた。
そしてそれはパズルのピースが埋まるように、マリィの中にあった疑念にひとつの解答をもたらした。

「お前、誰」
不意に斎藤くんの背後から声がして、彼はびくりと肩を震わせた。
風真くんが席に戻ってきたのだ。
「あ、お、俺、帰ります。じゃあね、美奈子ちゃん」
「う、うん…!」
そう言って斎藤くんはさっさと店内を出ていってしまった。

それからまもなく飲み物とパフェがテーブルに運ばれ、風真くんはさっきの出来事など何もなかったかのようにパフェを口に運び、「美味しいな?」と微笑んだ。
確かにパフェは美味しくて、マリィも「そうだね」と微笑み返した。
しかし、彼女の中にはひとつの確信が生まれていた。

――わたしのいままでの失恋は、ぜんぶ玲太くんのせい、なのもしれない。

そんな思いが胸の内でぐるぐる渦巻いていた。
けれど、目の前で朗らかに笑う風真くんは、やっぱりマリィの大好きな彼だった。

――でも、玲太くんだけが、ずっと変わらない愛をわたしに注いでくれた。
――こんなに自分を好きでいてくれる人の気持ちに気付こうともしなかったのは、わたしなんだ。

店を後にし、ふたりはショッピングモールの中にあるプロムナードをゆっくりと歩いた。
途中、大きなクリスマスツリーの前でマリィは立ち止まった。

クリスマスツリーの下にはグランドピアノが置いてあって、どこからかやってきた小さな男の子がピアノの椅子に腰掛けて演奏を始めた。
少年はまだ幼く、音も荒さが目立っていて、とくべつ上手い演奏ではなかった。
それなのに、マリィの心にはしんと響いた。
「きれいな曲…」
マリィが目を瞑って熱心に演奏に耳を傾けているので、「レスピーギのオペラ「ローマの噴水」の序曲だ」と風真くんがそっと耳打ちしてくれた。
「曲にぴったりの、素敵なタイトルね」
マリィは言いながら、目を逸らさずにじっと少年を見つめていた。
時折、彼女の瞳は電飾の輝くクリスマスツリーの灯りを反射して、キラキラと光った。

「もし、嫌じゃなければ――いつかヨーロッパで本場のオペラを観に行こう」
ぽつりと、風真くんが言った。
その声音がなんとなく物悲しく感じられ、マリィははっとして風真くんの顔を見た。
彼はうつむいていて、瞳の上にまた、前髪の影が落ちていた。
マリィはその様子を見ていると、なぜだか胸がよじれそうに痛くなって――たまらず彼の手を強く握った。