その日の夜、夜ノ介くんが帰宅してもわたしは普段通りの態度に徹した。
公演初日を迎えたばかりの彼にこれ以上の心労は与えたくなかったし、自分自身も目の当たりにした出来事に向き合う勇気がなかった。
彼が深夜に帰宅したこともあって、とくに長々と会話する時間もなかったのが不幸中の幸いだった。
ただひとつ、ベッドの中で身体を抱きしめられた時、いつも通りにパジャマのボタンに手をかけ始める彼を制して「今日は遅くなったから」と首を横に振った。
確かに時刻は午前2時を回っていた。彼はそれもそうかといった顔で頷いた。
そして次の日、彼は1週間の地方巡業へと旅立つまえに不安そうな表情でわたしに尋ねた。
「あの…。あなたは何ともない? 不安なことがあったら遠慮せず言って欲しい」
わたしは答えに詰まった。
なぜなら不安なことは数え足りないほどあったから。
けれど始発の新幹線の出発時刻は刻々と迫っていて、こんなタイミングで彼に本題を切り出すには時間が無さすぎた。
喉まで出かかった言葉を飲み込んでわたしは微笑んだ。
「ううん、わたしなら大丈夫。それより身体に気をつけて、1週間がんばってきてね」
名残惜しそうに何度も振り返りつつ地方巡業へと出かけていった彼を笑顔のまま見送り、1人寝室に戻った時にはどっと疲れていた。
わたしはこれ以上何かを見聞きしたり自分が悪い考えを抱いたりするのがいやで、そのまま昼まで泥のように眠った。