夜明け過ぎの二月の雪 - 2/10

記念すべき公演初日のマチネが終わるなり、わたしは熱に浮かされたような足取りで楽屋を目指した――非常識に思われるかもしれないけど、よく劇団の事務局には顔を出していたし、団員のほとんどは顔見知りで、なかにはわたしのことを冗談めかして「女将さん」なんて呼んでくる気心の知れた人たちも多かった。
だからこうして公演に招待された折には差し入れを持って楽屋に顔を出すのが常だった。

思えば楽屋へとつづく廊下を歩いているときから、妙な違和感があった。
すれ違う人が皆、親しげに話しかけてきたかと思えば夜ノ介くんの楽屋へ向かおうとするわたしに困惑した表情を浮かべた。
それでいよいよ、不安になって気が急いていく。
彼の楽屋の前にたどり着いた時には全身に嫌な汗をかいていた。

そして不運なことに、決定的な出来事は起きてしまった。

わたしが楽屋のドアノブに手をかけたその時、
キャーッフフフ、
と部屋の中から声が聞こえた。
嬌声、とでも言うべきか。
それに次いで声の主が話し続ける。
「ねえ夜ノ介さん、今日のソワレの後、ふたりきりで飲みません?」
とにかくその声は艶を帯びてはしゃいでいた。

みるみる自分の表情が強張っていくのを感じた。
わたしは彼女の問いに対する彼の返答を耳にするのが怖くて、そのまま立ち去ろうとした。
差し入れのお菓子は受付の人に渡してさっさと帰ろう、何も聞かなかったことにしよう、そう思ってくるりと身を翻し歩き出そうとしたその時だった。

背後でドアが開き、楽しげに語らう男女の声が近くなる。
反射的に振り返ったわたしの後ろに、夜ノ介くんと――下着の上からローブを羽織っただけの姿で彼に腕を巻き付けている女がいた。
舞台で見るよりもさらに華のある美しい顔立ち。濡れたような艶やかな肌。細い手足、豊かな胸元……。

ぶわっと、全身の血液が逆流しているかのような、浮遊しているかのような気持ち悪さで、吐き気に見舞われた。

彼はわたしを見るなり目を丸くして驚いていた。
わたしは何も見なかったと自分に言い聞かせ、ゆっくりと視線を元に戻して歩き出した。
途中、何度か彼がわたしの名前を読んだ気がしたけれど――無我夢中で、その時のことはあまり思い出せない。