壊れるくらい抱きしめて - 4/5

数日前から、しのぶの中にはまたしても妙な感情が渦巻いていた。
怒りとも焦りともつかない未知の感情のまえで、彼女は何をするでもなく判然としないまま時を過ごす羽目になった。
生まれてこの方、大体のことは理性的にやり過ごしてきた彼女は、自分の状況の戸惑い、なすすべない自分に苛立っていた。
彼女がこうした感情を抱く原因には、やはりドウマの見ている夢が関係していたが、彼女は彼が夢の中で何を見ているのか見当もつかなかっし、どんな考えが彼をしばしば上の空にさせているのかもわからなかった。

しのぶの手中には鍵があった。
それはいま彼女がドウマと2人で住んでいる部屋の鍵で、彼女がドウマに再び会いに来たとき、店の前で彼の元恋人(と、彼から説明があったわけではないが)の女性から渡されたものだ。
しのぶは意識的に彼女のことを考えないように努めた。
嫉妬や憎悪などといった劣情には駆られるだけ時間の無駄だと思っていたし、彼女は自分の感情と目の前の状況を切り離して物を考えるのが得意だった。

それなのに、それなのに。
ときおり、耐え難い嫉妬や憎悪が、彼女の柔らかな肌の上を撫ぜていく。
ドウマにとってしのぶとは何者なのか?
そんな疑念が彼女の胸中に渦巻いていた。
思えば、自分たちの関係はあまりに早急すぎた。
それゆえに彼に考える隙を与えられていなかったかもしれない。
あるいはもう、彼は自分との時間に興味を失っているのかもしれない。
彼女の中の彼への強い感情は、劣化することなく燃えつづけているのに。

「いったい、誰の夢を見てるの?」
思わず独言る。
家に帰ったあとも、ドウマはどこか不機嫌そうに、見えない何かに苛ついているように見えた。
彼のくちびるからは、名前のわからない────けれどどこか懐かしくてたまらないような花の匂いがした。
それを嗅ぐたびに自分の中に湧き起こるこの感情は何だろう。

はじめてドウマに出会ったった時に感じたあの感覚に似ていた。あのヒヤリとした、凍てつくような温度に身がこごえるのを感じたーー

血管の浮かんだドウマの大きくて白い手指、氷の浮かんだ青いカクテル、鍵を寄越した黒い髪の女、水槽の熱帯魚を世話する姉の横顔の美しさ…
畏怖、見えないふりをしていた嫉妬や憎悪、憧憬。
蓋をしていたさまざまな記憶や感情が押し寄せてきて、しのぶは身震いした。

そんな彼女の不安を知ってか、ドウマはことあるごとに彼女に口付けた。
そのたびに、普段通りの自分でいなければ、としのぶは思い直した。
しかし、2人の間にながれる微妙な空気は消えることはなかった。

ドウマが眠るベッドの温かい体温は麻薬のように心地よいが、今日はそこで易々と眠りにつく気分にはなれなかった。