大学生の夏休みは9月からが本番だと言っても過言ではない。
藝祭を終えたばかりの八虎と世田介は、一緒に暮らすマンションの一室で、残暑の厳しい9月前半の火曜日の朝を迎えていた。
真夏のような暑さになるという天気予報の通り、午前中の儚い冷気は太陽の熱にじわじわと溶かされ、10時を過ぎる頃には気温は33℃を超えていた。
そんななか、ふたりはクーラーの効いたマンションの部屋で各々ソファやヨギボーにもたれかかり、大きなディスプレイを前にNetflix三昧と洒落込んでいた。
とはいえ、画面にかじりついたまま微動だにしない八虎は、昨夜から一睡もしていない。
彼の足元に寝そべっている世田介は、眠そうな目を擦り、手元のSwitchをいじりながら、ときおり八虎が見つめる画面にちらりと視線をよこした。
事の発端はたしか、昨夜の午後11時をすぎた頃のこと。
2人が2回のセックスを終え、狭いバスタブに身を寄せ合うようにしてシャワーで汗を流した後だった。
八虎が髪を乾かして自室に戻れば、一足先に風呂場を出た世田介が、少し疲れているのか、惚けたような表情でソファに座り、冷蔵庫からだしたばかりの麦茶を飲んでいた。
八虎は彼の隣に腰掛けると、手持ち無沙汰に手元のリモコンを操作した。
身体は少し疲れていたが、こうしてふたりでゆっくりできる夜は久しぶりだったので、眠るにはまだ名残惜しかったからだ。
おまけに、明日はバイトも入っておらず、世田介と一日中一緒に過ごせる予定だった。
八虎はディスプレイの電源をいれ、Netflixの画面をスクロールする。
彼の閲覧履歴にあわせパーソナライズされたリコメンド欄は、明らかに同棲を始めたあとから世田介に勧められて観たアニメや映画の影響を色濃く受けていた。
「夏になると観かえしたくなる映画とかドラマっていろいろあるよね」
ふと、そんな他愛もない話を八虎が始める。
サマーウォーズでしょ、耳をすませばでしょ、あとは何かな、トトロとか?
言っておきながら次第に作品が思い浮かばなくなった八虎が苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「ジブリばっかじゃん。それに、細田守ならサマーウォーズより『僕らのウォーゲーム』だろ」
八虎の狙い通り、この手の話題になると世田介は普段よりほんの少し饒舌になった。
「サマーウォーズが好き」と口を滑らせた日に無理矢理観せられた『僕らのウォーゲーム』というデジモンの古い映画を思い出し、八虎は懐かしくてひとりほくそ笑んだ。
しばらくの間、会話は途切れていたが、少しして世田介が何かを思い出したように「あ」と短く漏らして宙を仰いだ。
「夏といえば、俺はエヴァかな」
八虎は少しキョトンとして、
「へー、エヴァって夏の話なんだ〜」
と、ぬるい返事を返せば、世田介は意外そうに目をまるくした。
「矢口さん、エヴァ観たことないの」
「う、うん、なんとなく観る機会なくてさ」
「ちょっと意外」
「なんていうか、ストーリーもちょっと暗そうだし、俺に理解できるかなーって少し避けてきちゃった感はあるかも」
「…矢口さん、知識が妙に広いからたまにパンピーだったってこと忘れそうになる」
「パンピーて」
そこまで話して、世田介は麦茶を飲み干し、カップをテーブルにおくと、八虎の部屋のダブルサイズのベッドに倒れ込んだ。
「やばい。眠い」
「世田介くん、もう寝るの?」
「うん。でもその前に歯、磨かなきゃ…」
そういって再び起き上がり、クシャリと寝癖のついた頭のまま洗面所に向かおうとした。
しかし、八虎が慌てて彼のTシャツの裾を掴み、引き止める。
「エヴァ、観てって言わないんだ?」
世田介はめんどくさそうに彼を一瞥した。
「なんでだよ」
「いや、いつも俺が観たことない作品あったら、結構すごい剣幕で観せようとしてくるじゃん」
「んー…エヴァは別。あれは好き嫌い分かれるし、わからない人が無理に観るような作品じゃないから」
世田介があっけらかんと言い放つ一方で、八虎の心中は複雑だった。
でも、それでも、世田介がすごく好きな作品だというのなら観たいし、なんなら理解りたいのだ。
八虎は、ちょっとしょげているような、イライラするような、なんとなく虫のいどころの悪いような気分になった。
「俺、観たい」
八虎は少しムキになっていた。
「いいんじゃない。まだ1ヶ月近く休みあるし」
世田介がさして意に介さぬ様子であくび混じりに答えると、
「今から」
と間髪入れずに八虎が答え、カチカチとリモコンを操作し始めた。
「は?今から?言っとくけど長いよ。それに完結まで観たいなら映画も観なきゃ――」
「大丈夫。観れる。世田介くんは寝てていいよ」
「……」
良かれと思って言ったのに、ここまで聞く耳持たないのか。
世田介が呆れ返る横で、八虎はさっさと第一話の再生ボタンを押してしまったのだった。