「まあまあ八虎くん、いらっしゃい!今日は泊まっていってくれるのよね?」
上機嫌で八虎を迎えいれた世田介母は、夕食の食卓についたふたりからルームシェアの詳細を聞かされるなり、
「あらまあ!お父さん、よたがお友だちとルームシェアですって!」
と瞳を輝かせた。
「しっかりしてる八虎くんがいっしょなら安心だわ。今後とも仲良くしてやってね」
「はい!おまかせください!」
ルームシェアはそれが鶴の一声となり、とんとん拍子に話がまとまった。
<<やぐちやとらのゆうとうせいスマイルは、こうかてきめんだ!>>
世田介の脳内には、そんなテロップが浮かんでいた。
「いや〜、想像以上にアッサリ決まったね」
風呂を上がった八虎はわしゃわしゃとタオルで濡れた髪を拭く。
「なんで実の息子より矢口さんの方が信頼されてるんだ」
世田介は複雑そうな表情を浮かべている。
「まあまあ」
八虎は椅子に腰掛ける世田介の目の前にしゃがみ込み、
「俺は世田介くんと一緒に住めて、すげーうれしいけどなあ」
と微笑んだ。
世田介は、床にひざまずいてこちらを見上げている八虎の、まだすこし濡れている髪に触れた。
ふさふさしていて、雨に濡れた野生動物のようで、フミとはやっぱり触り心地が違う、と思った。
ふいに、世田介の手を八虎の手が包むように握った。
重なった手のひらはするすると八虎の輪郭をなぞり、八虎の頬をつたう。
――なにをするつもりなのだろう。
世田介がどぎまぎと八虎の顔を凝視していると、八虎はすこしまぶしそうに目をほそめて世田介をみつめかえした。
「こういう雰囲気」になると、八虎はまるで祈りをささげるように世田介を見つめた。
壊れやすいものを抱く時のように。敬虔な祈りを捧げる教徒のように。
彼にそんなふうに見つめられるのは、すこし怖かった。
そんな綺麗なものじゃないよ、と思わず目を逸らしたくなる。
おまけに、その瞳の奥には、祈りだとか慈愛だとか、そんなものとはかけ離れた、ギラギラと強い光が揺らめいているのが、世田介にははっきりと見てとれた。
彼の感情の、こういうアンビバレントなところが、とても苦手だ。
世田介の指先がそっと八虎の唇に触れた。
かと思えば、八虎の生温い舌が世田介の指を絡め取る。
「ちょ、ちょっと…」
「嫌?」
そんなふうに訊かれても、その瞳に見入られると何も言えなくなってしまう。
厚くてぬるぬるして、生温い感触が、指と指の隙間を這う。
いままで何度も世田介の身体を蹂躙した、あの舌だ。
「世田介くん、俺たち、これからずっといっしょだ」
彼の唇の厚さ、キスのねちっこさ、肩を掴むゴツゴツした手、風呂上がりの熱った肌からしたたる微かな汗の匂い。
どれもこれも、少し前まで、知る由もなかったのに。
肌を重ねるたびに、今まで知らなかった彼の身体の細部までを教えこまされていくようで、そのことを考えると足がすくむような思いがした。
「今日はおや、いるから…っ」
世田介は、ぐい、と八虎の肩を引き剥がし彼の体から抜け出そうと藻搔いた。
しかし、敢えなく腰を掴まれ引きずり戻される。
「やだ。逃がさない」
八虎はうっすらと微笑を浮かべている。
その表情からはどんな意図も汲み取れない。
それがなんとなく薄ら恐ろしくて世田介はなおも暴れる。
「このっわからずや、変態!」
「変態でいいよ」
両手のひらの指の隙間に、彼の指がもぐりこんでくる。
がしりと握られた手のひらは汗ばんでいた。
「世田介くん、すきだよ」
そう言って八虎は熱っぽい目線を世田介から逸らすことなく、ぺろりと舌舐めずりした。
その光景はすこし恐ろしかったが、美しさもあった。中毒性のある、麻薬のような。
ゆえに、世田介は目を離すことができなかった。