「ホームズ!!」
ほとんど悲鳴のような声をあげ、真っ青な顔をした立香が駆け寄った壁際には、長身の男が力なくうなだれていた。
いつもきっちりと着こなされている糊の効いた上質なシャツははだけ、不健康な白い腕には無数の小さな穴のような傷跡があった。もう片方の手には、注射器が握られている。
シャーロック・ホームズがコカインの常習者だったことは多くの読書家に知られているように、彼がカルデアでもときおり薬物を使っていたことは立香も知っていた。しかし最近はその頻度も減っていたし、こんなに具合の悪そうな姿を見たことはなかった。
「ホームズ、ねえ、ホームズったら!」
麻薬常習犯の介抱のしかたなど知らないので、ゆすることも起き上がらせることもできずに、おろおろと脈と呼吸を確認する。脈拍に異常はない。ほっと胸を撫で下ろしていると、彼が苦しげにかすかな呻き声をあげた。
「……!、気がついた?」
しかし、うっすらと開かれた彼の瞳は焦点の定まらぬまま虚空を見上げている。不規則な呼吸を繰り返す口がうわごとのように告げた。
「立香、なぜここに……」
「なぜって。ここわたしの部屋だもん」
「シミュレータ研修が終わるのは明日だろう」
「予定よりちょっと早く終わったんだよ」
ホームズは「ふむ」と片眉をつりあげた。が、相変わらず青い顔をしているので立香はちょっとだけ説教をしたい気分になった。
「それ、最近は使ってなかったと思うんだけど」
立香の指し示す先にはホームズの手に握られている注射器があった。
「どうして具合が悪くなるまで使っちゃうの?……こんな……」
こんなもの、あなたには必要ないでしょ。と言いかけて口をつぐむ。
彼が麻薬を常用しているという事実を直視したくなくて、なぜ彼が薬物に依存しているのか――その理由を深く考えないようにしていた。そんな自分の都合の良さに嫌気がさしたからだ。
すると、彼と目が合った。立香の迷いを見透かしたような、何かを諦めたような、そんなまなざしに見入られて目が逸らせなくなる。
彼は立香に力なく微笑みかけると、掠れた声が虚しくがらんとした部屋の中に響いた。
「心配かけて悪かった。でも君には関係のないことだ」
しかし、付き合いの長い彼のこんな言葉を真に受ける立香ではなかった。
「わたしの部屋で倒れてた人が関係ないわけない」
引き下がる気はさらさらない、と強気に彼女が反論すると、彼はまた気力のない言い方で彼女を突っぱねた。
「……君に、もう一度拒絶されるほど私は愚かじゃないよ」
それで立香は、やっぱりそういうことかと肩を落とし、気まずい数日前の出来事を思い返すのだった。
***
彼と初めてキスをしたのは、カルデアが対峙した第二の異聞体、ゲッテルデメルングでのことだった。シャドウ・ボーダーを襲撃したシグルドの攻撃を一身に受けたホームズは致命傷を負い、救命ポッドでの療養を余儀なくされた。
立香は任務の合間にシャドウ・ボーダーへと戻り、しばしばホームズの様子を確認していた。しかし彼の傷は霊核に触れるほど深く、彼女がどれだけ顔を見せようとその瞼は固く閉ざされたまま、会話はおろか意思の疎通すらも難しい状況が続いていた。
ある時――魔が刺した、と言うべきか、ふと彼女の脳裏にひとつの考えが浮かんだ。それは自身がマスターになったばかりの頃、ドクター・ロマニから与えられた魔術師とサーヴァントの魔力供給についての知識だった。
――こんなやり方、サーヴァントとのパスすら繋げられない三流魔術師しかやらないって、ドクターは言っていたけど……。
これまでならば、サーヴァントへの魔力供給はカルデアの電力によって賄われていたが、今は違う。拠点を失った今のカルデアに残るリソースでは、彼の修復を満足に進めることすら叶わないのだ。
――……それなら。
ポッドを開けて、立香は窓枠に手をついてホームズの身体に覆いかぶさった。うっすらと開いた唇の間から微かに苦しげな寝息が漏れている。
「ごめんね、ホームズ。今のわたしにはこんなことしかできなくて……」
意を決して、震える唇をそっと彼の唇に合わせてみる。男の人とキスをしたのはこれが初めてだった。人理を修復する使命を課されたその時から、立香は恋人をつくることはおろか、恋心を自覚することさえ自分に禁じてきた。特定の誰かに特別な感情をもってしまえば、誰かを喪うことへの恐怖心が一層強まってしまう気がして。
ホームズの唇は薄くて柔らかく、少しだけ乾いていた。彼の瞼や鼻筋の美しさを至近距離で見ていると、さも自分のキスが不恰好であるような気がしてしまう。なぜなら、恋を知らない彼女には正しいキスの仕方なんてわからなかったのだ。
不器用な口づけを恥じた彼女がそっと離れようとしたその時、びくとも動かなかったホームズの瞼がうっすらと開かれ、彼女の腕を彼が掴んだ。
「――ミス藤丸。悪いけどもう少しこのまま……」
「ぅぐ……」
無理やり引き寄せられ、再び唇を合わせる。今度は立香からの一方的なものではなかった。薄く開かれた彼の唇から、厚く柔らかな舌が焦ったそうにうごめき、立香も唇を開くような促した。本当は恥ずかしくてたまらなかったが、観念してきつく閉ざしていた唇を少しゆるめれば、待ち構えていたように彼がぬるりと入ってきた。
そのキスは欲情というより、砂漠を行く旅人がオアシスの水を啜るようなものだった。だから立香も切実に彼のキスに応えることができたのかもしれない。
彼女は少しでも多くの魔力を彼に与えるべく必死にその口づけに応えた。だから、キスをしていたあいだ自身の腰に回されていた彼の腕にも、うっすらと目を開けて彼女の表情を観察していた視線にも気づくことはなかった。
その一件以来、立香はたびたびホームズから唇を求められるようになった。
「魔力が足りないの?」
「いいや。ノウム・カルデアからの供給は十分さ」
「じゃあどうしてキスするの?」
「おや、嫌だったかい?」
「嫌とかじゃないけど……」
「そうか。ならよかった」
キスのたびに立香は彼に理由を尋ねたが、いつもこんなふうに流されてしまう。このまま追及することもできたはずだが、理由を深追いして彼や自分自身が傷つくのが怖かった。それで彼女はしばらくのあいだ、甘んじて理由のわからないそのキスを受け入れていた。
しかし、そんな曖昧な関係も長くは続かなかった。
その日はいつも通り、深夜まで仕事をしているホームズに業務連絡のため会いに行くと、彼は誰もいない管制室でモニターを眺めながら紅茶を飲んでいるところだった。
「ホームズ」
立香が呼びかけると、彼は「君か」とほっとしたような表情を浮かべた。
「何か考え事の邪魔しちゃった?」
「いや、問題ない。大したことは考えてなかったさ」
「そう?」
立香は気を取り直してゴルドルフ新所長からの伝言を託けた。しかしその間も彼は神妙な面持ちで彼女をじっと見つめている。
「……ホームズ?」
立香が訝しむように彼を呼べば、じっとこちらを凝視していた彼は彼女の手を取って管制室のバックヤードへと歩み出した。
「ミス藤丸、こちらへ」
「え?ちょっと……」
管制室の裏には使われていない空き部屋がいくつかあった。
「どうしたの、こんなところで―――」
振り向きざま、彼に身体を捉えられ、壁に押し付けられるような形で口づけられた。
ふたりは人理修復という途方もない旅路をともにする仲間であり、気の置けない友人でもあり、互いに助け合う相棒でもあった。友愛こそあれ、ふたりを結びつけるこの感情は恋愛ではないはずだった。
しかし何故だろう。彼の薄い唇の形や舌の長さ、唾液の味――これまで知り得なかった彼を知るたびにどうしようもなく嬉しく、心地よい。
しかしそれでも、距離はこんなに近づいているのに相手の胸の内はまるきしわからない。――こんなの奇妙だ、いびつだ、と立香は違和感を払拭できずに胸を痛めていた。
立香の不安とは裏腹にキスは深まっていく。不意に、ホームズの舌が立香の奥歯をなぞった。
いじらしくも未だ戸惑っている立香の核心を突くその刺激は、彼女の身体をゾッと震え上がらせた。彼はおもむろに首元のタイを緩め始めている。その首筋は白く滑らかでいい匂いがして、彼から与えられる甘すぎるキスがしだいに立香の思考の輪郭を蕩けさせた。
――彼の首筋にキスをしてみたい。あの真っ白い雪みたいな肌に歯を立ててみたい。もし、いまわたしが噛み付いたら、彼はどんな顔をするのだろう?流石の名探偵でも、驚くだろうか。
衝動に突き動かされて、立香は彼のシャツのボタンに手をかけた。不慣れな手つきでひとつ、またひとつとボタンを外していく。ホームズは焦ったそうにたどたどしいその様子を観察していたが、いよいよ痺れを切らして体温の低い手のひらを彼女のシャツなかに潜り込ませ、器用に下着を探りあててブラジャーのホックを外した。
それにはさすがの立香もはっとして、これから起こる出来事がなんなのかを明確に認識し始めた。
恐々と顔を上げれば彼が悪戯っぽい笑みを彼女に投げかけている。
今の彼は、見たこともないほどに「男のひと」だった。その事実を直視したとたん、立香の心に未知の恐怖が芽生えはじめる。
これまで、ホームズの心の中に何人かの女性の影が見えたことがあった。それは決して読書家でもシャーロキアンでもない立香でも知っているアイリーン・アドラーという名前を連想させたりもしたし、エレナ・ブラヴァツキー という彼女も親しくしているサーヴァントの姿であったりもした。しかし、それでも彼は誰かと愛し合おうとはしなかった。
たったいま彼が自分にしたこと、これが愛ゆえの行為ではないというのなら、一体なんだというのだろう。彼は大人だから、愛し合っていなくとも「こういうこと」ができるのだろうか。もしそうだとしても、立香はまだ恋を知らない少女で、このあたたかく心地よいふれあいと愛情を切り離すのはとても悲しいことのような気がしてならない。
部屋の隅の壁ぎわに追い込まれて、逃げ場はもうない。だが今更恐ろしくなって膝から下が情けなくガタガタ震えている。
心は戸惑いと疑念に深く深く沈んでいくようだった。
――わたしはあろうことか、シャーロック・ホームズに恋してしまっている。そのことの無謀さをこんなにも理解していながら。ああ、本当に本当に……どうしよう。
背が高く、理知的な、美しい彼の姿を捉えているはずの視界が不安でぐらぐらと揺らいでいる。
そんな立香を気遣ってか、ホームズは彼女の頬や首筋に優しいキスを落とした。
「まっ……てっ……ホームズ」
「どうした?」
「……わからない、から」
「わからない?……何のことかな」
赤子をあやすような、やわらかなまなざしで問われると、やっぱりこのまま何も考えずに身を委ねようかと甘い考えに囚われそうになる。
しかし立香は自らを律して、できるかぎり毅然とした態度を心がけ、まっすぐに彼を見た。
「だってホームズが、わたしに恋するはずないもの」
そう言い捨てると立香は彼の胸板を押し返し、その場を走り去っていた。
***
ホームズに叶うはずのない恋煩いをしていたから、彼のことがずっとうらめしかった。だから彼の気持ちも考えずに身勝手なことをしてしまった。どこまでも自分の浅ましさに嫌気がさす。
足元で青白い顔をした彼が縋るように彼女を見上げているのが悲しくて、泣いてしまいたかった。だけどここで泣いてしまうのはあまりにずるいような気がするので歯を食いしばる。
彼女はゆっくりと服のジッパーに手をかけ、上着を脱いだ。スカートのホックも外して、キャミソールとストッキングも脱ぎ捨ててしまう。すっかり下着姿になってしまった彼女が壁にもたれかかったままの彼の膝の上に跨った。
「立香、なにをしてるんだ」
さすがのホームズも面食らったように顔を顰めた。
「なにって……魔力供給するの」
サーヴァントの体調不良には一番でしょ、と立香が言い捨てるとホームズは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「馬鹿を言うな。君は私を拒絶しただろう。無理をせず放っておけばいい。魔力なんて休んでいれば自然に戻る」
「じゃあどうしてわたしの部屋で倒れていたの?」
「君のシミュレーター研修のスケジュールは1週間の予定だっただろう。その間借りていただけだ」
ふたりとも一歩も譲らず、埒が開かない。立香ははぁーっとわざとらしく大きなため息をついて彼に覆い被さった。
「もう黙って」
彼に近づき、無理やりに唇を塞いだ。彼の唇は薄い陶磁の器のように整然とした美しい形をしていたが、酩酊状態が長く続いていたからかその表面は乾いていた。
キスをした途端、立香の心は動揺し始めた。
心拍数が上がって、息が苦しくて、またこの場から逃げ去りたくなった。だがそれとは裏腹に、冷たい彼の唇を貪りつくしたいほどに胸の中では何か熱いものが燃えていた。この気持ちは、あの時と同じ……。
「…………っ」
咄嗟に怖くなって彼女が唇を離すと、ホームズが訝しんだ。
「立香、どうした」
「…………なんでもない。それよりベルト、外すね?」
返事はなかったが、彼が身動きを取れないことをいいことにひとつひとつ衣服を剥ぎ取った。ジャケットも、ベルトも、靴下も。自分より身体の大きな彼の体重はどうにも持ち上げられそうになくて、ズボンと下着はそのままだけど。
立香はズボンのチャックをおろして目当てのものをあくまで事務的に取り出した。事態を注意深く見つめていたホームズがやっと口を開く。
「本当にするのか」
「……嫌なの?」
「そういうわけじゃないが……」
「そう、よかった」
ホームズの躊躇いにも耳を傾けず、立香は聳り立つ彼のペニスにそっと唇を落とした。正直、経験もなければ知識もクラスメイトが読んでた雑誌に書かれていた程度のものしかなかった。が、後には引き返せない。立香は歯を当てないように気をつけながら、不器用に舌を這わせる。
初めて味わう彼のにおい、硬さ、張り詰めた皮膚の下を血液がめぐる感触……。時折、彼の閉ざされた唇からくぐもった声が漏れるのが嬉しくて、次第に夢中になって咥内の彼を舐った。
最初から硬さを帯びていたペニスがすっかり大きくなったところで、立香はおもむろに自らのショーツを脱いだ。
「立香、これ以上は君の身体に負担が大きい。私のことはもういいから……」
頬をうっすら上気させつつも、相変わらず渋い顔をしているホームズが言い終わる前に、立香はピシャリと言い放つ。
「急病人はだまってて」
立香の心はただ彼へとまっすぐに燃えていた。彼を助けたいという気持ちは本当だったが、立香の熱情を突き動かしているのは、彼を欲している彼女自身の本能でもあった。
彼の先端を自らに宛てがうと、今までになくそこはじっとり湿っていて彼女は怖くなった。ああ、今からこれを呑み込むのだ、彼がわたしを貫くのだ。恐ろしくてたまらないのに、すぐ目前にある快楽の誘惑から目が離せない。ごくりと唾を飲んだら、ホームズがまた立香を制そうとした。
「このまま挿れたら君が苦しいだろう。もう無理しなくていい、きみは……」
「いいの、わたしがしたいの」
「立香……」
参ったな、と彼が困惑した表情で肩をすくめた。立香はいつもは隙のないホームズがなすすべなく彼女の下で横たわっていることに少なからず興奮をおぼえていた。
そもそも、何もかもホームズのせいなのだ。立香は彼に無謀な恋心を抱いていた。玉砕する覚悟はできていた。それなのに彼がこうして紛らわしく希望をちらつかせるから、立香はずっと苦しいのだ。だからすこしくらい彼を困らせたっていいじゃないか。
「ホームズ。わたしから目を逸らさないで、見ていて」
その声は切羽詰まっていた。ホームズは困った表情のまま、頷く代わりにすこし微笑む。それを確認するなり、彼女は腰を下ろしてずぶりとひとおもいに彼を咥え込んだ。
とたん、感じたことのない異物感が押し寄せる。興奮していたからか、肉の裂ける痛みのなかにわずかに甘やかな刺激を感じたが、それでもやっぱり、ろくに解しもしなかったので破瓜の痛みは強烈だった。
「〜〜〜っ、いったぁ…………」
立香の両目からぽろぽろと大粒の涙が溢れた。言わんこっちゃない、とホームズがそれを指で優しく拭ってやる。
「ゆっくり気を落ち着けて、深く息を吸うんだ。……やっぱり、一度抜いた方がいい。このままじゃ君を傷つけてしまうだけだ」
そう言ってホームズが立香の腰を掴んだので、彼女は身体をこわばらせて彼の提案を拒んだ。
「いや……!抜きたくないの」
「こんなに聞き分けの悪い君は初めてだな。何故そんなにこだわる?」
涼しい顔で彼は問うた。立香はぼろぼろと大粒の涙を零しながら訴える。
「わかんないのはホームズのほうでしょ」
すると、予想だにしなかったとでもいうようにホームズが目を丸くして立香を見上げた。
「わたしはホームズのことが好きなの。だからキスをされたら嬉しいし、あなたが倒れてたら何だって差し出したいと思ってる。けどあなたはちがうでしょ。それなのにどうしてわたしに何度もキスしたの?なんでこうして無理やりのしかかられても拒まないの?」
立香の涙を拭ってやる手はそのままに、彼が珍しく惚けたような顔で長いあいだ絶句していたので立香は不安げに彼を見た。
「ホームズ?」
「――ああ、すまない……嬉しかったんだ。君が自暴自棄になっているわけじゃないとわかって」
「どういうこと?」
未だ不審そうに立香が尋ねると、ホームズはただあっけらかんと愉快そうに笑い声を上げた。
「君が私を好きだと言ってくれて、とても嬉しかったんだ!」
「えっ……?」
先ほどまで屍のようだった彼の目に正気が宿り、力なく床に投げ出されていた四肢がすっくと伸びた――かと思うと、彼は立香を持ち上げ、なんとそのまま立ち上がった。
「ちょっと……!麻薬中毒で動けないんじゃなかったの?」
繋がったまま持ち上げられるなど想像だにしなかった立香はパニックになりながら身をよじって抵抗を図ったが、彼の長躯はびくともしなかった。
「あれは君と仲直りをするための芝居だよ。まあ君をここまで追い詰めてしまったのは想定外だったが……」
君は騙されやすくて助かるよ、とホームズが微笑んでいる。
彼の突然の告白に、立香は羞恥のあまり身体中の血液が沸騰するような火照りを覚えた。まさか。信じられない。そうだとしたら、あまりに恥ずかしくて死んでしまいたい。頭の中でそんな言葉がぐるぐると巡っている。
「嘘でしょ?本当に信じられない!!最低!」
彼女の悲鳴がマイルームに響くのも意に介さず、余裕綽々のホームズが立香をベッドにそっと横たわらせた。
どさ、とその上にホームズが覆い被さって、長い影が立香の上に落ちた。
「確かに悪手だったと認めるよ。だけど君の愛らしいところをたくさん見られたという点ではよかったとも言える」
一体、自分の曝け出した痴態を彼はどんなふうに見ていたのだろう――立香は赤面し、ただはくはくと息をすることしかできない。
暗闇のなかでも彼の理知的な瞳が自信を取り戻して煌々と輝いているのがよくわかった――やっぱり、こういう表情の彼はどんな人よりも素敵で、眩しい。こんな状況でもうっとりしかけている自分に気がついて、立香は我に帰った。
彼はすっかり普段通りの様子で満足げに微笑んで、彼女の唇にそっと優しくキスをした。
このまま彼に乗せられてしまうのは癪だが、再び合わせた彼の唇が心地よくて思わず目を閉じる。彼の舌が滑りこんできて彼女の咥内をまさぐり、その溶けるような感覚に意識がとろりとしかけたが、やはりこのまま不安を解消せずにキスに夢中になってしまうのが嫌で、立香は身体を強張らせた。
「こわい?」
耳元で甘い囁き声がする。彼女は未だ涙に濡れている目を閉じて首を横に振った。
「違うの……ほんとのことを言って欲しくて……。ホームズはわたしのこと、別に好きってわけじゃないでしょ?」
「立香……」
「本当のことを言われても受け止める準備はできてる。だから、大丈夫だよ」
濡れた瞳からポロリと涙がこぼれおちる。ホームズは彼女の肩をそっと抱いた。ひと呼吸おいて、彼がゆっくりと話し始める。
「……正直なことを言えば、君と同じ気持ちを抱けているのかは自信がない」
返答を聞くなり、やっぱりねと立香はため息をつこうとしたが、ホームズが「話は最後まで聞くんだ」と制した。
「私に恋心というのはよくわからない。だが私は私なりに君を特別に思っている。叶うなら、これからも君とずっと一緒にいたい。ちなみに、他のサーヴァントとばかり君が楽しそうにしていると不愉快だ」
はっとして顔を上げる。彼はまっすぐこちらを見ているだろうかと思ったが、意外にも照れくさそうに目を逸らしていた。
「……君が求めていた答えをあげられただろうか」
立香は淡く微笑み、こくりと頷いた。そっと両手を伸ばして彼の頬を包む。
「言葉にしてくれて、ありがとう」
「いや……不安にさせてすまなかった」
そうしてしばしふたりは見つめ合っていたが、しだいに今のこの状況の可笑しさにどちらともなく微笑んだ。
「それから、急病を装ってわたしを騙したことも謝ってよね」
立香がわざとらしく頬を膨らませると、ホームズはケロッとした顔で、悪びれた様子もなくさらりと言った。
「悪かった。けど結果オーライだったじゃないか」
「……こんなことなら、シャワーだって浴びたかったし」
そもそも、ホームズが普通に話してくれればここまで性急な展開にならずに済んだのに。立香はぶつくさ文句を垂れた。
この時にはもう、驚きやら怒りやら呆れやらで破瓜の痛みはすっかり引いていた――が、なにより、さっきから自分の中で彼がむくむくと大きくなっていることが気になる。
「ね、ねぇ……さっきから、ホームズのが……」
言い終わる前に、ホームズは逃げようとする立香の腰をぐいっと引き寄せた。
「ああ。君を気兼ねなく抱いていいとわかったら、つい」
「まだするの……?」
「このままでは君に痛い思いをさせただけになってしまうだろう。そうとあっては英国紳士の名折れだ」
ホームズは無造作に前髪をかきあげ、鷹のような鋭いまなざしで立香を見つめた。
「光栄にも君の初めての男になれたんだ」
そういって、彼が言葉を区切ってペロリと控えめに唇を舐め――それが宵闇にてらてらと妖しく艶めいた。
「責任を持って、君に正しいセックスのしかたを教えようじゃないか」
***
外に漏れないよう押し殺した立香のか細い声が静かな部屋に反響している。舐め溶かされてぐずぐずに慣らされた彼女のなかはホームズの長い指を2本咥えこんでいた。ホームズの細い指は器用に彼女の弱点を炙り出していく。それで彼女は容易く果ててしまう。
「〜〜〜っは、ぁ……も、やだぁ……」
「ふふ。上手に達したね。いい子だ」
嬉しそうにホームズが立香の瞼にキスをおとした。
彼のもう片方の手はずっと立香の下腹の上に置かれていて、しきりにとんとんとん、と優しく押したりさすったりしている。その振動を感じると、無性にお腹の奥が寂しいような気がして、彼女の中を暴いている彼の指先が奥を掠めるたびに強烈な飢餓感に身体を支配された。
つ、と彼の指先がまた彼女の奥に優しく触れた。拍子に立香の身体はガクガクと震えて反応を示す。空腹感、喉の渇き、めまい、そのどれとも違う。初めて感じる名もない欲求の前で彼女はなすすべなく彼を仰ぎみる。
目の前でギラギラと立香を見つめている彼の表情がぐらついている。欲しい、欲しい。ただそれだけしか考えらない。荒い呼吸だけを繰り返す喉の奥からひゅうひゅうと掠れた音がする。
「そろそろ、君の中に戻ってもいいかい?」
彼女の耳元に口をつけて彼が低い声で唸るように言った。立香はほっとして涙を浮かべながらこく、こく、と何度も頷いた。
やっと、この未知の苦しみから解放される――胸の奥に安堵が広がっていく。もはや、先ほどまでの独りよがりな行為の痕跡は跡形もなく消えていた。冷たく強張っていた身体は温かく、粘膜は彼に溶かされて寂しげに震えている。
温かく湿った立香のそこにふたたび彼があてがわれた。先ほどまで彼女を貫いていた指とはちがう太さと質量にすこしばかり緊張がはしる。
「大丈夫。力を抜いて……」
意外にも、ぬるりと抵抗なくそれは立香のなかに滑り込んできた。
「あ…………」
丁寧に解されていたので痛みはなかった。先ほどの強烈な異物感は薄れて、ただ頭の奥が甘く痺れている。
「痛くない?」
頬を寄せて彼が問うた。熱い吐息が耳に触れてこそばゆい。
「うん、大丈夫」
そうか、と頷くと神経質な彼らしい慎重さでゆっくりと動き始めたが、どうやらしっくりと馴染んでいるらしいとわかるなり、不意に熱くて硬いそれが立香のおへそ側の壁を擦った。
「あっ……」
指や舌とは異なる質量が、強烈な快感を彼女に与え、思わず押し殺した声が漏れる。
ぴったりと肌を合わせるように抱きしめられて、彼の息が荒くなっていることに立香はこの時はじめて気がついた。戦闘中すら涼しい顔をしている彼が肌に汗を滲ませて、焦ったそうに彼女の唇を求めている――それを思うと胸の内側がじわりと熱くなった。
ホームズはまだ恐々と立香の身体を抱いていた。確かに彼のペニスは大きくて長くて硬くて、彼女の中にすべて納めるのはすこし窮屈だったが、もう立香のなかはすっかり解けていた。
それでも彼は立香の入り口をほぐすようにゆるく腰を動かすばかりで、求めている刺激は一向にこなかった。――彼の大きな手のひらがずっと立香の「そこ」に緩やかな刺激を与え続けているので、狂いそうなほど欲しく欲しくてたまらない。立香が物欲しげに腰を浮かせても、彼は素知らぬふりを続ける。
立香は彼の大きな手のひらが覆っている自分の下腹部を一瞥した。
「どうかしたかい?」
尋ねる彼の表情が心なしか意地悪に見えて、頬を膨らませる。
「別に、なんでもないけど」
強がりを言ったら、「ふ」と彼が笑う息の音がした。どこまでも余裕たっぷりのホームズの様子がなんだか癪で、そっぽを向こうとしたが、いつのまにか両手指にしっかりと彼の指が絡み付いていて身動きが取れなくなっている。
不可抗力的にちらりと彼を見遣れば、またいつでもキスできそうなほどの至近距離で彼は言った。
「して欲しいことがあるなら、言ってごらん」
立香は恨めしげな視線を送りつづけていたが、こういう精神攻撃が効く相手ではないこともよくわかっていたので、観念することにした。
しかし、改めて彼に乞うのはあまりに恥ずかしく、小さな声で囁くように唇を動かした。
「………………て……しいの……」
「ん?」
聞こえないな、とホームズは涼しげに首を傾げる。立香は唇を噛んで、ボタンが外れてはだけている彼の胸元のシャツをぎゅっと握って引き寄せた。
「もっと、奥にきてほしいの」
羞恥からか、不意にポロリと一筋の涙が頬に溢れる。ホームズは真っ赤な顔をしている立香の髪を愛おしそうに撫でた。
「喜んで」
ホームズが再び動き出す。肌の上をすべる薄いシャツ生地の向こうに彼の体温を、耳元ではその吐息を感じる。温かく湿度があり、さざなみのようにひいてはよせてくる穏やかで心地の良い律動が、少しずつ少しずつ彼女をいたわりながら深くなる。
その優しさが立香には焦ったく感じて彼の背中に脚を巻きつけた。
「ねえ、早く」
これにはホームズは何も言わなかった。が、その言葉を聞くなり眼光がギラリと強まった。
彼は深く息を吐きながらゆっくりと腰をすすめ、ずん、とペニスの先端が立香の奥をついた。
その瞬間、視界にチカチカと星が瞬き、乾き切っていた喉を冷たい水で潤していくような充足感が下腹部にじんわりと満ちていくのを感じた。これだ、これが欲しかったのだ、と叫ぶように立香の全身が震えている。
目を閉じて快感に身をまかす立香をホームズはじっと観察していた。視線に気づいている立香がうっすらと目を開けてまた気まずそうに言った。
「あんまり見られると恥ずかしい……」
自分が彼女に見入っていたことに彼は指摘されるまで気づかなかったらしい。
「すまない。君の苦しそうな顔ばかりが記憶に焼きついていて……ちゃんとここで感じてくれて、ほっとしたんだ」
ホームズがまた、とん、と彼女の下腹を押したので、立香はまたびくっと身体を跳ねさせた。
「そこは駄目……!」
「何故?心地いいのはいいことだろう」
逃げようとする彼女の腰を掴み、にこっと不敵な笑みを浮かべて、躊躇なくズンと己を沈めていく。
「わかるかい?ここが君の子宮。私のペニスの先が突いているのが、その入り口だ」
彼は低い声で丁寧に説明しながらも、ゴリ、と立香の善いところを突いたので、また彼女は視界をチカチカさせながら身体をのけぞらす。ホームズは悦に入ったまま続けた。
「今から私はここに精を吐き出す――つまり、君に種をつけるんだよ。あいにく、孕みはしないが」
彼らしからぬ発言にはっとして顔を上げると、彼の瞳が暗い色に沈んでいるように見えて少し恐ろしかった。立香が怯んだのを、獣のようにするどいまなざしがめざとく捉えて彼女の腰を引き寄せた。
「立香、逃げないで――――しっかり味わって、私の形を覚えて」
コリ、コリ、と執拗に立香の子宮の表面をホームズのそれの先端が嬲る。
「や、もう…………いっちゃう、からあ!」
「好きなだけ果てればいい」
ホームズは甘やかすように言ってまたズンと彼女の奥を突いた。腹の奥を侵される快感に流されないように、立香は唇を噛み締めながら、ふるふると首を横に振る。
このまま身を委ねていたら、あっという間に食べられてしまうだろう。
たしかに彼に抱かれているのは心地よい。幸福だと感じる。だけど胸の奥に振り切れない感情がうごめいている――彼と「こういうこと」をしたいと思ったあの時から感じている――ジリジリと焼けつくような、逃れ難い欲求。
嫌だ。まだ終わりたくない。もっともっと彼が欲しい。めちゃくちゃになって、何にもわからなくなるまで彼と淫蕩の限りを尽くしたい。
立香は胸の内に湧き起こる「何か」に戸惑った。
またキスをしようと近づいてきた彼の頬をそっと制し、立香は瞳を潤ませた。
「あのね、なんだか、自分が自分じゃないみたいで怖いの……」
すると彼は眩しげに立香を見つめた。唇は微笑んでいたが、その表情は少し寂しそうにも見えた。
「君が変わったわけじゃない。普段とは違う側面が見えただけさ」
この言葉には我ながら実感がこもっている――とホームズは思った。
彼は彼女の戦いをずっとそばで見てきた。どれほど凄惨な戦場や殺戮、醜い諍いの数々を目の当たりにしても、彼女の気高さは決して揺るがなかった。
だからたとえホームズであっても彼女を変えることは限りなく不可能なのだろう。
その事実は少しの落胆を彼にもたらし、同時に彼をこのうえなく恍惚とさせた――彼女の純潔を暴いて、乱れるその姿を固唾を飲んで見守るこの状況に、身が火照るような興奮を覚えるほどには。
そんな彼の内省などつゆも知らぬ彼女は、相変わらず自分の中に湧き上がった名もなき欲求に戸惑いながら彼に尋ねた。
「どんなわたしでも嫌いにならない?」
とたん、彼がはははと声をあげて笑った。
「嫌いになんかなるもんか」
「じゃあこれからわたしがどんなになっても?」
彼は立香の違和感に気がついていたが、彼女を安心させるべくその手をとって甲にそっとキスをした。
「勿論」
しめっぽい手の甲のキスの感触がまた立香の内側をぞわぞわと波立たせた。それで、いてもたってもいられず彼女は彼の耳元を引き寄せて耳打ちした。
「……ねぇ、ホームズ」
もう一度あなたの上に乗りたいの、と彼女が控えめに囁いたとき、ホームズはある予感に胸をときめかせていた。
***
彼女の身体はしなやかで、羽の生えた天使のように軽かった。しかしその瞳の奥には獰猛さがゆらめいていて、かわいらしくホームズの上を飛び跳ねながら、時に唸り声をあげて本能的な欲求に忠実に彼のペニスを貪った。
先ほどまで震えていた幼い少女のようだった彼女はもうどこにもいなかった。闇夜の薄明かりのなかで彼に跨っている彼女は、雨に濡れた美しい毛並みの獣のようであり、傷ついた天使のようであり、豊かな身体で男を抱擁する女神のようでもあった。
うっすらと口を開いたまま無言で彼女を見つめ続けるホームズを、立香はすこし意外に思った。
「あなたはこういうとき無口になるの?」
ホームズは夢見心地な目つきで、唇だけを動かすようにして言った。
「それに値するほど乱れる君が美しいから」
彼の返答に気をよくした立香は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「その調子だと、まだまだ余裕がありってかんじだね」
すると彼は、とんでもない、とでも言いたげに肩をすくめた。
「いや、これでも結構我慢している方なんだ。さっきから何度か気を失いそうになったよ」
確かに自分を貫いている彼は、これ以上ないくらい大きく硬く張り詰めていて、脈打っている血管を感じ取れるほどだった。その事実が彼女をより奔放にした。
「ふふ。ホームズ、わたしの中に出したい?」
「ああ……。狂おしいほど、出したいさ」
彼が立香の腰に手を当てて、ぐっと深く子宮を穿った。確かにそれはタイムリミットの迫った時限爆弾のように神経質に脈打っていて、いまにも噴水のように精液を吐き出してしまいそうだった。
普段は飄々としているホームズの余裕のなさそうな様子がうれしくて、立香はちょっぴり意地悪をしたくなった。
立香は彼の無防備な首筋にゆっくりと近づき――ガブリ、と甘く噛み付いた。彼の肌は白くてすべっこくて温かくて、頭がくらくらしそうないい匂いが鼻腔を掠めた。
一方で、立香の行動にホームズは驚き、「あ」とも「は」とも取れない曖昧な声をあげた。
下手をすればサーヴァントに傷をつけかねない行為に彼女が及んだのは意外だった。だがもっと意外だったのは彼女の白い歯のあたる感触が彼の興奮を無性に掻き立てたことだった。
彼女はいたずら好きな子どものようにクスクスと甘い笑い声を上げながら、ホームズの胸に頬を擦り寄せた。
「わたしが突然噛み付いたら、あなたはどんな顔をするだろうって、ずっと考えてたの!」
ホームズは呆れ半分、この先どうして彼女を懲らしめてやろうかの思索半分に、たっぷり余韻をきかせて尋ねた。
「……感想は?」
彼がぶっきらぼうに言ったので、さすがの立香も怒らせちゃったかしら、としおらしく謝った。
「ごめんなさい……」
ホームズは悪さをした子猫でも宥めるように、立香の髪をそっと撫でた。
「最初は君のこと、とびきり優しく抱いてあげようと思っていたのに」
君がおてんばで無鉄砲だってこと、忘れていたよ、と肩をすくめたホームズに、立香は申し訳なさそうにしつつもツンと澄まして応えた。
「だって、ただ抱かれてるだけってなんだか性に合わないの」
彼女の返答に、ホームズはニヤリと不敵に笑った。
「まあ、いいよ――――じゃあ次はこちらの番だ」
「え?」
きょろんとした立香の大きな澄んだ瞳が何の疑いもなく彼の眼前に見開かれている。
ホームズはちょっとした復讐心を燃やしながら、立香の小さな顎を片手で掴むと、そのぽやんとした可愛らしい頬を指でむぎゅっと挟んだ。
「私だって君がどんな顔をするか、見てみたい」
***
「あ゛っ………あぁ……ホームズ、駄目っ駄目っ……」
ホームズは四つん這いになった彼女の腰を掴み、自分本位な快楽を追求するように腰を打ちつけ続けた。彼女の身体はまるで服従するように、ただ彼へと開かれている。
「嫌ぁ、も、限界なの……」
すでに何度も達している彼女が荒い息に肩を上下させながら乞うた。先ほどまで余裕の笑みを浮かべて彼の上を飛び跳ねていた彼女が、ただ彼から与えられる快楽を前になすすべなく身体を開け渡している――それを思うだけでホームズの下腹に悪寒めいた興奮が迫り上がってくる。
「立香……君とずっとこうしたかった」
湿度の高い彼女の中は柔らかく絡みつくように出入りを繰り返す彼を歓迎した。
ホームズが手のひらを立香の腰からゆっくりと滑らせ彼女の乳房を掴んだので、立香は上半身を起こす形となった。――耳元に彼の唇を感じる。
「他の誰かではなく、ぼくを選んで欲しかった」
生温い吐息が彼女の鼓膜を振るわせ、全身がゾクゾク震えた。夢なんじゃないかと思うくらい、彼の言葉が嬉しくてたまらないのに、快感に体を支配されて意識がぼんやりして言葉が出ない。
彼に触れられているところすべてがどこもかしこも熱くて、ありったけの彼の質量をぶつけられて蕩けきっている胎の底が、ただ彼を欲して収縮を繰り返していた。
ホームズ自身もそろそろ達してしまいそうだったが、最後にもう一度、彼女の惚けた表情をみたくなった。
「こっちを向いて」
彼女を自分の方を向かせると、恥ずかしいのかすこしむず痒そうな表情をした立香と目があった。
目尻は赤く腫れぼったく、頬には涙の痕跡が、唇の端には涎を垂らした跡がついていた。
ホームズはやさしく彼女の頬から口へと何度もキスを落とし、ぐずっている子どもをあやすように甘い声で懇願した。
「舌を出して」
立香はあいかわらずはにかんだまま、薄い唇の間からちろりと赤い舌を覗かせた。すかさずそれはホームズに絡め取られてしまい、ふたりはまた深く口づけをしあった。
夢中になって絡まり合っていると、次第に彼の動きが激しくなってきた。
彼は「出すよ」と短く言って、彼女の腰をぐっと引き寄せた。そしてすぐさま、どくどくどく、と脈打つ彼から身体に温かいものが注がれた。
お腹の底が、温かい。体温よりも鮮明で、身体にじわっと染み渡るこの温度はきっと魔力なのだろう――そこで立香はホームズがサーヴァントだという事実を思い出す。こんなにも近くて、愛おしい。けれども決して届きはしない存在なのだと。
しかし、そんな彼との幻想のような夜の痕跡はきっと明日も立香の中に残り続けるのだろう。
身体を解放された立香は、どっと疲労が押し寄せてくるのを感じ、くったりとベッドに倒れ込んだ。その瞬間にはホームズが呼びかけても返事ができないほど意識が朦朧としはじめて、そのまま事切れるようにして眠ってしまった。
***
誰かがシャワーを浴びる音で目覚めた。
立香が気怠げにベッドからゆっくりと身体を起こすと、いまだかつて感じたことのないずっしりとした倦怠感に見舞われた。次第に意識がはっきりし始め、昨晩の出来事が鮮明に蘇り、自分の行動の大胆さや無謀さ、彼に晒した自分の姿を思い返して頭を抱えたくなる。
いまシャワーを浴びているのはきっと彼だ――ベッドのもう一方の片側を確認すると、誰かが隣で眠っていたらしき痕跡があった。それにほっとしていいやらどんな顔をしていいやらわからず、気まずさを感じていると洗面所の扉が開いた――。
「お早う、よく眠れたかな?」
彼はさわやかな微笑を浮かべ、ボクサーブリーフにシャツを羽織っただけの無防備な姿でシャワー室から出てきた。だが相変わらず立香は恥ずかしくて彼を直視できない。ホームズはすっかりいつもの調子で涼しげに続けた。
「悪いが私は先に出るよ。今日は朝イチで管制室のオペレーションメンバーとブリーフィングなんだ」
そういってホームズはいそいそとシャツのボタンを止め、丁寧に畳んで椅子にかけられていたズボンを手にかけた――が、相変わらず立香が黙っているのでホームズは不審げに彼女の顔を覗き込んだ。
「…………立香?」
「あ、お、おはよ……!」
目を白黒させて半パニック状態の彼女に、ホームズはふ、と吹き出した。
「昨夜の威勢のいい君は何処へ行ったんだ?」
「――昨日のこと、思い出すと、その、恥ずかしくて……忘れて欲しいくらい……」
するとホームズはつまらないことを言うな、とでも言いたげに肩を落とした。
「あいにく私の脳に都合よく記憶を忘却する機能は搭載されていないよ」
「うう……だってどんな顔をしていればいいかわからないんだもん!」
立香は赤面したまま両手で顔面を覆っている。ホームズはため息をついて淡々と言った。
「別に、何も恥ずかしがることはないさ。昨夜のことを周囲に言いふらす者は誰もいない。君が望むのなら、何もかも無かったことにして、私はこれまで通り有象無象のサーヴァントのうちのひとりに戻ったって構わない」
彼が吐き捨てるように言って、立香ははっとして顔を上げた。彼は立香に背を向けて身支度を再開していた。
昨夜、快感の渦に呑まれながら、朦朧とする意識の中で彼の声が聞こえた。
『他の誰かではなく、ぼくを選んで欲しかった』
こんな言葉を彼が伝えてくれたことがうれしくて――夢みたいだって思ったのに、返事をしなかった。おまけに、今朝のよそよそしい態度がまた彼への拒絶と受け取られたかもしれない。
立香は立ち上がって、シャツを着込んだ彼の背中にぎゅっと飛びついた。
「ごめんなさい、そうじゃないの」
ホームズはまだ振り返らなかった。だが手を止めて彼女の言葉の続きを待っているのはわかった。
「確かにサーヴァントのみんなのことは大好きだし、とても大切に思ってる。できる限り平等に、全員と一緒に時間を過ごしたいなって思ってる。だけどホームズだけは……なんでだろう。どうしても、やっぱり、みんなとちがうの」
声が震えている。言葉が上手く出てこない。もっと正しく、彼に見合った言葉を伝えたいのに。知らず知らずのうちにまた涙が込み上げてきて、彼のシャツを濡らしてしまいそうになったのでパジャマの袖で拭う。
「上手く言えないけど、わたしには、いつだってホームズがいちばん光って見える。あなたは誰よりも強く、優しく、わたしを照らしてくれる光。わたしにはそう見える。だから気がつけばあなたのことばかり、目で追ってるの」
この気持ちを伝えるには、彼女の知っているどんな言葉でも役不足だった。だから不格好なのは承知で、できる限り素直に思ったことを口に出してみる。
「だから忘れないで。昨日の恥ずかしい出来事も、情けないわたしの姿も全部、忘れないでいて」
そこまで聞いて、ホームズはぎゅっと彼にしがみついていた立香の腕をそっと解くと、後ろで泣きべそをかいている彼女の方を振りかえった。
「それだけ聞ければ充分だ。……ありがとう」
彼は腰を屈めてゆっくりと顔を近づけ、立香の唇にキスをした。甘くて、どこまでも優しいうっとりするようなキスだった。
「君が見当違いな誤解をしているといけないから言っておくが、昨夜の君は恥ずかしくも情けなくもない。――つまり、最高だった」
「えっ」
不意に、昨夜の話を振られて立香はまた赤面する。ホームズはにっこりと笑って立香に耳打ちした。
「昨日あれほどしたというのに、まだまだ全然抱き足りないほど君は魅力的だ」
「――――」
絶句する立香を他所に、ホームズはウインクだけ寄越してさっさとジャケットを羽織り、セットした髪を撫で付けながら鏡で確認し、身支度を終えた。が、思い出したように立香のところへ戻ってきて頬に軽く口づけし、
「では、続きはまた今夜に」
と言い残してスタスタと部屋を出ていった。
ぽつん、立香はひとり部屋に残された。
「えっ……こんや……?」
呆気に取られてつぶやいた彼女の独り言は、もう彼の耳には届かない――行く宛のない言葉は昨夜の熱の余韻の残る部屋の空気に吸い込まれて消えていく。
けれども立香に不安はない。ただ、静かな幸福が、胸の奥深くに満ちていた。