彼女のいないシャングリ・ラ

!注意!
※行マリ世界線の風七が南の島でセンチメンタルジャーニーする話
※全員成人済(24歳くらいイメージ)
※風真くんと七ツ森くんがマリィと結ばれません(地雷の方お気をつけください!)
※あくまで友人として仲良しの二人を描いていますがかなりブロマンス色つよめ
※ふたりともマリィが好きだった設定だけど七ツ森くんはどちらかというと友情重視の好き(七ツ森くんもめちゃくちゃ病んで欲しい乙女はブラウザバック)
※腐向け展開を期待しすぎずに読んでください。

***

七ツ森はバルコニーに立てられたパラソルの向こうに広がる眩い海と太陽の光に目を細めた。

「あっつ……。なんで海嫌い同士でこんなトコ来ちゃったんだか」

やれやれ、と文句を垂れつつ七ツ森は向かい側に座って、氷が溶けて薄まった俺のアイスティーを勝手にごくごくと喉を鳴らして飲み干した。

「おい。俺の飲みかけだったんだぞ」
「あーはいはい、おかわり持ってこさせますよ」

だるそうに言って、七ツ森がスマートフォンでどこかへ電話をかけた。
俺もこいつも、海外で仕事をすることが多いから、国際通話に対応したスマートフォンを持っていた。
部屋に備え付けられた固定電話もあるのに、七ツ森はめんどくさがっていつもスマートフォンからフロントに電話をかけている。

「カザマ、ずっと仕事してるつもり?」
飲み物をオーダーし終えた彼が、ペンを走らせ続ける俺を退屈そうに眺めている。

「いや、今書いてたのは…絵葉書」
「ぷはっ…」
ノートパソコンの影から、ひらりと鮮やかなブルーの海が描かれた葉書を見せてやると、失礼なことに奴は吹き出した。
「何が可笑しいんだよ」
「いや、それ誰宛?まさか…」
ついさっきまで冷やかすような笑みを浮かべていた七ツ森の表情が固くなる。
俺は肩をすくめて首を振った。
「お前がいま想像した奴じゃないことだけは確かだ」
「…そっか。まあ、そうだな」

ふたりのあいだに、また沈黙が流れた。
俺は万年筆と絵葉書に視線を戻し、また黙々と字を綴る。
白いパラソルが揺れて、ザァッと風の流れる音がした。
沈黙を破ったのは七ツ森のほうだった。
「ダーホンたち、無事にフィンランド着いたって」
さっきグループLINEにメッセ来てた、と付け加える。
「…そっか。よかった」
俺はそれ以上何も言わなかった。
というよりも――何も言うことが、できなかった。

***

1週間前、高校時代からの親友ふたりが結婚した。
俺たちは仲のいいグループで、しょっちゅう4人で遊びに出かけていた。
だけど、最初から全員に対して純粋に友情を感じていたわけではなくて――俺には密やかな目的があった。
それは、10年来の幼馴染の女の子と結ばれること。

彼女と近づくために、なんとなくグループで出かけるようになったのが全ての始まりだった。
高校を卒業して大学に入学してからも、俺たち4人は平行線を歩んでいた――が、ついにそんな曖昧な関係性にピリオドが打たれた。
彼女が選んだのは、俺たちの中でいちばん優秀で、頭のいい男だった。
頭がいいっていうのはただ勉強ができるって意味じゃない。
彼は世の中のあらゆる物事をいつだってフラットなまなざしで捉えることができた。
他の3人が知らないことをなんでも知っていて、誰かが困っていたら真っ先に知恵を貸してくれた。
つまり何が言いたいかというと、彼女が彼のことを好きになった理由に、疑問を抱いたことはない。
それは七ツ森だって同じはずだ。

俺たち3人は同じ女の子のことがずっと好きだった。
だけど同時に、3人は互いにそれぞれを深く認め合ってもいた。

***

正午すぎ。
俺たちはホテルの一階にあるレストランで食事をとった。
いまや世界的に知名度のあるモデルとなっている七ツ森はサングラスをかけていても人目を引くらしく、何人もの女性が振り返り彼に話しかけていた。
そのたびに意外なほど流暢な英語で受け答えるので、「英語、上手いんだな」と素直な感想を述べると、「いんや。必死に勉強しまくっただけ」と苦々しい表情でベロを出した。

ランチの後、腹ごなしのためにビーチに出た。
特に泳ぎが好きなわけでもない男ふたりだったので、水着のまま海岸を歩いた。
いまは夏至で、一般的な観光シーズンともヴァカンスのシーズンともズレていた――だから、ビーチには人が少なかった。
無言で、燦々と輝く太陽の下をただ歩く。
空気が日本と違ってカラリと乾いているのは嬉しいが、やはりじっとりと汗をかいた。
俺たちは目の前に広がったヴァカンスという名の空白の時間と、どこまでも続くまっさらな砂浜を前に途方に暮れている。

――ああ本当に、どうしよう。これから……

自分の心の大切な部分を占めていた感情が取り払われて、俺の中身は空っぽだった。
滑稽な話だ。彼女の心が自分のものだったことなんて、ただの一度もないくせに。
考えれば考えるほど自己嫌悪に陥って、目の中に入った汗に顔をしかめるふりをして、涙がこぼれ落ちないように空を仰いだ。

「あいつらが北に行くなら俺らは南って……言い出したのどっちだっけ……バカなの?」
不意に、俺の後ろをだるそうによたよたついてきていた七ツ森が口を開いた。
「お前だよ、たしか」
俺は泣いていることを気取られないように、しっかりと声を出した。
「マジ!? 俺はバカか?」
七ツ森が本当に驚いているみたいに叫ぶのが可笑しくて、俺は肩を震わせた。
相手もそれに気がついて、クククと押し殺したように笑っている。

「承諾した俺もたいがい馬鹿だよ」
過去の自分たちの愚かさ加減に呆れつつ吐き出したその声は、自分で想像していたよりもずっと明るかった。

「なあ、カザマ。ちゃんと日焼け止め塗った?」
後ろから、ひんやりした手が伸びて俺の首筋に触れた。
「一応。でも、あんましっかりとは塗らなかった」
「いやいやちゃんと塗りましょうよ。首んトコ若干赤くなってるし」
後ろにいた七ツ森に顔を覗き込まれる。
俺の顔を見るなり、一瞬だけ戸惑いを浮かべた後、すぐにわざとらしく意地悪な笑顔を作った。
「カザマ、ひょっとして泣いてた?」
「…うるせえよ」
俺は図星を指摘されてそっぽを向いた。
「べつにいいんじゃないの。泣いてることを恥ずかしがらなくたって。この旅はそういうやつでしょ?」
「なんだよ、そういうやつって…」
「センチメンタルジャーニー」
俺らふたりの、と七ツ森が付け加えた。
その声には覇気がなく、疲れていた。
それでふと思い出す。
そういえばこいつも彼女を好きだったんだ、と。
この旅が始まってから、妙に甲斐甲斐しく俺にかまおうとするので、ついその事実を忘れがちになってしまうのだ。

「悪かったな。男2人で旅行なんか」
俺は急に七ツ森に申し訳なくなった。
すると何やらひどく怒った口調で言い返される。
「確かに失恋は堪えたけど――俺はカザマとここに来たこと『男ふたりで旅行なんか』だなんてミジンも思わないね」
普段の穏やかな彼からは想像できない荒っぽい感情のにじむ声音に、流石の俺も涙が引っ込むのを感じた。
彼は言い捨てたまま、足早にビーチを歩いていく。
「おい、待てってば」
俺は慌てて後を追いかけた。

そのまま七ツ森を追いかけていたら、ホテルの部屋に着いた。
「シャワー浴びる」
それだけ言い捨てて、パタンと浴室のドアが閉まった。すぐに水の音が漏れ聞こえ始める。
俺は急に手持ち無沙汰になって、深いため息をついた。
今日の夕食はこの街で一番のレストランを予約した。時間まであと2時間ほどあった。
俺はまたデスクにゆっくりと腰掛けて絵葉書の続きを書き始めた。
最初は両親に対するよそ行きな言葉ばかりが並んでいた手紙だが、二度目に筆を持ったこの時、内容は他者の目に触れることは許されないほどの内面の吐露へと変わっていった。
俺は頭の片隅で、この絵葉書はきっと誰にも出さないのだろうとひっそり思い始めていた。

またずいぶん長い時間が経った気がした。
頭を上げて壁掛け時計を確認する。ちょうど1時間が経過したらしい。
ゆっくり息を吐いて首と肩を回す。
10枚入りの絵葉書は残りわずかになってきた。
没頭しすぎていたせいか、肩が痛くて顔をしかめていると、バタンと浴室のドアが開いて七ツ森が出てきた――彼は女の姿をしていた。
俺は一瞬呆気に取られたものの、彼と一緒にいる上でこういうことはよくあることだったので、すぐに「どうりで風呂が長かったけだ」と合点がいった。

一体どうやっているのか検討もつかないが、タイトなデザインのドレスすら女性らしい柔らかなラインで着こなして、控えめに露出した肌は濡れたように滑らかな光沢を放っている。
「似合うな。綺麗だ」
昼間の気まずい出来事も忘れ、無意識のうちに賞賛の言葉が口から滑り出た。
こちらの反応に気を良くしたのか、フィルムの向こうの女優さながらに美しく口角を上げて微笑んだ。
「このドレス、今の体型だと若干ゴツく見えるかな。ど?」
たおやかな身のこなしでくるりとその場で回ってみせる。
本当は女なんじゃないかと錯覚するくらい、指先まで計算し尽くされた佇まいに息を呑んだ。
「いや…本当に綺麗だと思う。本心から」
「そ。カザマが言うなら信用できる」

俺が幻でも見ているみたいにぼうっとその場に立ち尽くしているので彼は笑った。
「ちょっと早いけど、ディナーまで少し歩こう」
キャリーケースから取り出した華奢なハイヒールを履いた彼は俺よりはるかに身長が高かった。
普通なら多少なりとも気後するかもしれないが、慣れたものだ。
部屋のドアを開けて彼(彼女というべきか?)を通し、そっと腕を差し出した。
「ほら、つかまれよ。石畳にヒールじゃ疲れるだろ」
「ドウモ。……なんか、これはこれでハズカシイんですけど」
「気持ちはわかるけど、頼むから俺をハイヒール履いた女性のエスコートすらできない唐変木にさせないでくれ」
「ハイハイ。じゃ、大人しく従っときますよ」

ここは縁もゆかりもない、日本から離れた異国のリゾート地。
ぎこちない表情で身を寄せ合って歩く奇妙なカップルがいたとて、囃し立てる人間は誰ひとりいない。

「いきなり浴室からドレス着て出てくるから驚いたよ」
「急に着たくなった。このカッコなら女子から話しかけられないし」
「モテモテでいいじゃないか」
俺が他人事のように上の空で言うと、七ツ森が低い声を出した。
「……俺らが声をかけられて嬉しくなる女性は――もういないでしょ」
その言葉は、ずっしりと俺の胸の奥深くに沈んでいった。
「ああ、そうだな……」
力ない肯定が、夕暮れの海と空に吸い込まれていく。
異国の海辺の街をふたりでゆったりと歩き続けると、また急に心細い気持ちになった。

ずいぶん遠くまで来てしまった。
日本からも彼女からも、遠く離れて。

隣の七ツ森が夕日を眺めながら唇を噛んだ。
この時彼が何を考えていたのかは、俺には到底わかりそうもない。

***

俺たちはそのまま予約したレストランに向かい、名物のロブスターやパエリアをつまみながら浴びるようにワインを飲んだ。
2本目の瓶が空になったあたりで店を後にし、ホテルの部屋へと雪崩れ込んだ。
部屋に着くなり俺は靴を脱ぐのも忘れてベッドに飛び込んだ。
七ツ森はそのままシャワーに直行し、ガウンに着替えるなり部屋の冷蔵庫を開けてシャンパンとグラスを取り出した。
テーブルの上にそれらを置くと爪の手入れを始めながらゆるゆるとグラスに口をつけはじめる。

「まだ飲むのかよ」
「んー、なんか今日は、まだ寝たくなくて」
彼が丁寧に爪を手入れしている様をぼんやり眺めた。
手の爪は甘皮を処理し、綺麗に磨いて透明なトップコートをさっと塗る。足の指にはシャンパンゴールドやブラック、ホワイトなど複雑な色合いのポリッシュが塗り重ねられていった。
「いいな。そういうの」
「カザマ、こういうデザインが好きなんだ」
「ああ、なんていうか……漆塗りの棗みたいで、好きだ」
「ナルホド?」
腑に落ちない表情で首を傾げた彼が俺に向き直った。
「じゃあさ、カザマも塗ってみよう。ペディキュア」
「はい?」
こちらが呆気に取られているのもお構いなしに、七ツ森がうきうきとベッドに身を乗り出して俺の履いていた靴を脱がせ始める。
「正気かよ」
「モノは試し。だろ」
仕方なしに大きなため息をついた。
七ツ森の手を振り払って革靴と靴下を脱ぎ、あわてて浴室に逃げ込む。
さっとシャワーを浴びてローブを羽織り、ベッドに戻った。
「お好きに」と素足を放り出し、壁にもたれかかれば、その様子をテーブルに頬杖をついて見ていた七ツ森がケラケラ笑った。
「カザマってほんと……、俺スキだわ」
「そうかよ」

七ツ森が青や白、銀などのポリッシュをサイドテーブルに並べて、彼の骨張った手が俺の足首を掴んだ。
俺は微動だにせず、されるがままに身を任せた。
「ん。やっぱカザマは青が似合う」
そう言って原色に近い濃い青が爪に塗られていく。
デスクワークばかりで日焼けしていない不健康な白い肌に、青い花が咲いたようだった。
「これはクラインブルーっていう色」
「クラインブルー」
脊髄反射的に、耳慣れない言葉をそっと復唱する。
「そ。イヴ・クラインっていうアーティストが作ったブルー」
つま先が、青く染まっていく。
青い色に引き込まれるようにして、行く宛もなく浜辺を彷徨った午後の出来事を思い出した。

俺は核心に触れることを恐れ続けているふたりの会話に耐えきれなくなって、ついに本音を打ち明けた。

「なあ、この気持ちにどうやってかたをつければいい」
俺が言うと、七ツ森ははっと息を呑んだ。
そしてすぐに生真面目な顔で言う。
「忘れるまで、耐えるしかない」
とりつく島もない言葉だが、その言い方は小さな子どもを甘やかすようだった。
その声に胸を掻きむしられたような気分になって、目頭が熱くなる。
「怖いんだ。こんなに大切な感情を忘れてしまうことも。この苦しみに耐え続けなければいけないことも」
声は情けないほどか細く震えていた。
「うん。……でも、他に手立てはないでしょ」
彼は視線を伏せて、丁寧にペディキュアを塗り続ける。
それが妙に心細くて、俺はついに泣き出してしまった。
「怖いんだ、七ツ森」
熱い水滴が頬を伝う。
あれほど空っぽだった身体の中から、よくこんなに出てくるものだと呆れるほどに涙は流れ続けた。

「……やっと、泣いたな」
彼は肩をすくめた。メガネの向こうの瞳は哀しそうに笑っている。
「は、」
「泣いて欲しかった。ずっと」
吐き出すように言い、彼は泣くのをぐっと堪えているように顔を歪めた。
「カザマに今回のこと、自分一人だけの問題だって、殻に閉じこもってほしくなかった。孤独や辛さをちゃんと俺に分けてほしかった」
とつぜんの告白に、俺はただ戸惑った。
「お前はお前で、悲しむこともできたはずだろ」
七ツ森がこんな言葉を求めているわけではないことは分かりきっていたが、とにかく頭が真っ白で、反射的に口が動いていた。
すると目の前の彼は深くため息をついて首を横に振った。
その呆れ顔には、堰き止めきれなかった涙が伝い始めていた。
「じゃあなんで俺をここに誘ったんだよ」
俺は投げかけられた質問に言葉を詰まらせた。
ぐうの音も出ない指摘。
俺は確かに孤独になるのを恐れてた。
けれど誰かに自分の苦しみを共有しようだなんて考えもしなかった――そんな自分のそばにいる誰かの苦しみを、想像することすらなく。

「俺が昼間、どうして怒ったかわかるか」
そう言って無造作に涙を拭い、眉間に皺を寄せて腕組みしながら俺の顔を覗き込んでくる彼は、まるで俺の兄貴みたいだった。
自分だって彼女が好きだったくせに。
マイペースで末っ子気質なようでいて、彼は高校時代から精神的に人一倍大人びていて、いつも一歩引いたところから俺を見ていてくれた。
そんな大切なことに、どうして今まできちんと向き合わずにきたのだろう。

「俺はこの気持ちを、カザマ以外の奴に共有するのが耐えられなかった。それに、傷ついた親友のそばにいたいと思った。でもそれは消去法とか仕方なくとか、そういうのじゃない。わかる?」
じり、と寄ってくる彼の顔を直視するのが気まずくて視線を逸らしながら、俺は答えた。
「ああ……今ようやく、わかった気がする」
その返答を聞いた彼が、また困ったように笑った。
「遅ぇよ、バカ」
ぽかりと頭にチョップが降ってきた。
高校生の頃みたいなやりとりに、俺はその時初めてうっすらと微笑むことができた。
「悪かったよ」
「ん。わかったなら、よろしい」

それから俺たちはテラスに出てふたたびシャンパンを飲んだ。
彼女がいないこの楽園の海に、美しすぎる朝焼けが訪れるまで。

***

翌朝、二日酔いの頭痛を感じながらまた海に出た。
飲み物を買いに行った七ツ森を待ちながら、ゆっくりと波打ち際を裸足で歩いて行く。
剥がし忘れたペディキュアの塗られた素足が砂浜に足跡を付けて、波がすぐにそれをかき消していく。
幾重にも積もった砂の山を波が攫っていくように、自分の心にふりつもった不毛な恋心さえ、何か大きなものに飲まれていくような気がした。

必死になってもがいていた自分がどう繕ったって無様で嫌だった。
だけど今はすこし、嫌いではないかもしれない。

ひとすじの乾いた風が、首筋をかすめていった。
それは俺の髪を乱し、心の中にまでさわやかな空気が吹き込むような心地よい風だった。

遠くで白いシャツを着た七ツ森が「おーい」と俺を呼び手を上げた。
片手に2本の瓶を持っている。
たぶん、飲み口にライムが詰められたキンキンのビールだろう。
「まだ飲む気かよ」
俺は苦笑しながら、彼の呼びかけに応えるようにそっと手をあげた。