夏休み初日。
学期中に片付けられなかった諸々の仕事にひと段落ついた冨岡は、ぐったりとワーキングチェアに寄りかかり、慣れないデスクワークによって蓄積した眼精疲労に顔をしかめ、眉間にぐっと指をあてた。
そうこうしているうちに、ドアの外で軽やかな足音が廊下に響き始めた。それに続いてコンコンというノックと鈴を転がすような声が続く。
「先生、いらっしゃるんでしょう?入っていいですか」
「ああ」
冨岡が返事をするなりドアは開き、ドアの前にはすっかり夏らしい装いをした私服姿の胡蝶しのぶが両手に数冊の本を抱え立っていた。
ドアが開くと聴覚が麻痺しそうな蝉時雨が部屋に雪崩れ込んでくる。
薄暗い室内からは、光に満ちた廊下の景色はすこし眩しい。
窓の向こうでは、校庭の桜の木に茂る青々とした葉の葉脈が強い日光に晒されて薄く透けている。
その光に包まれたしのぶは、色白の肌に白いワンピースを纏い、まるで白昼夢の中の蜃気楼のように、儚く朧げな美しさをたたえていた。
冨岡は軽く眩暈を覚えた。
冨岡が彼女と言葉を交わすようになったのは、自分しか利用者のいない体育教官室の淡水魚の水槽を持て余している様子を、しのぶが見つけ、世話をするようになってからだった。
前任の体育教師は随分几帳面な人物だったのだろう、体育教官室の小さな敷地のなかでひときわ目立つ大水槽の中は、多種多様の水草が、非常に細かい配慮のもとに配置され、そこに生息する色鮮やかな魚たちも、まるで1つのエコシステムを形成しているかのように、住処を分け合って暮らしていた。
自分には到底手入れなどできそうもないその水槽は、今日も薄暗い部屋の中で、淡くぼんやりとしたライトの光と、手入れする人間のまめやかな愛情に守られて異質な輝きを放っていた。
「夏休みの図書館は天国ですね。涼しくてつい長居しちゃいました」
ふふ、としのぶは微笑みながら本を長机に置き、水槽の下にしまわれた掃除用具を取り出す。
「でもお前は受験生だろ。図書館に長居して勉強するのはいいことなんじゃないか」
冨岡がいかにも教師らしい釣れない返答をすると、しのぶはやや不機嫌そうに頬を膨らませ、
「そんなのわかってますよう」
もっと気の利いた受け答え、できないんですか?そんなことだから、みんなに嫌われちゃうんですよ?
しのぶがいつものようにぶつぶつと文句を垂れつつ、しっかり手を動かして水槽の掃除にとりかかる。
冨岡は、決して表情や態度に現れることはないものの、水槽の手入れをする彼女を眺めるこのひと時が好きだった。
かつて冨岡は、愛した女性が金魚を愉しげに世話する様子を、よく隣で眺めていた。
今日は二週間に一度の大掃除の日なので、水槽の水をバケツに移し、それを部屋に備え付けの流しまで運ぶ。
この作業だけは、小柄なしのぶを不憫に思い、冨岡が担当している。
冨岡が数回水を汲み、水槽の水がある程度少なくなってくれば、しのぶが手際よく水槽を磨いていく。
その様をデスクに座りぼんやり眺めている冨岡に、しのぶはふと、思い出したように、話しかける。
「そういえば、わたし、先生にお礼を言わなきゃって思ってたんですよ」
にこにこといつもの微笑みをたたえているしのぶの言葉に、冨岡はすこしばかり身に覚えを感じつつも、「何だ」と訊き返す。
「昨日の、わたしの絵のことです」
昨日の終業式で、数々の部活動や委員会活動等で業績を上げた生徒たちがこぞって校長から表彰状を授与された。
その中で、しのぶが美術の時間に描いた絵が、コンテストで入賞したことが校長から告げられた。
体育館のステージのスクリーンに彼女の絵が映し出され、それを背景に彼女は表彰状を受け取ったのだった。
才色兼備な学生として有名な胡蝶しのぶが、こうしてコンテストで受賞し表彰されることに対しては、だれも違和感を抱くことはなかっただろう。
しかし、スクリーンに映し出された絵は、その場に居合わせた人々の関心を買ったに違いない。
「家族」というテーマで描かれたその絵には、帯刀した美しく若い女性2人が見事な筆致で描かれていた。
冨岡にはその女性ふたりの凛とした出で立ちには十分すぎるほどの見覚えがあり、
この絵を見た瞬間、戦慄し身が打ち震えるのを堪えられなかった。
終業式が終わり教室に戻って帰り支度をしているしのぶを大勢の生徒が囲んだ。
「ねえ、胡蝶さん。さっきの絵の人たち、だれなの?」
「刀を持っていたよね、なんだか時代劇みたいだった」
「あのひとたちは胡蝶の家族なのか?」
次々に浴びせかけられる質問に、しのぶはいつもの笑顔を崩さず、簡潔に答えた。
「うちの遠縁の親戚の女性たちなんです。うちは大正期まで代々製薬と鬼狩りを職業にしていたと祖父から聞かされて、ちょっと気になって調べたら、あの方々の写真が出てきて、100年以上前の写真なのに、とても印象的で綺麗だなって思って、描いたんです。」
その返答に、一同はぽかんとしている。
「鬼狩り?そんな職業、聴いたことない…」
「なんだか不思議な話ね」
と要領を得ない反応が飛び交う中、それを見越していたしのぶは何も言わずに微笑んでいる。
その一部始終を見ていた冨岡は、思わず場違いであることもわすれて口を挟んだ。
「なんだ、お前たち。そんなことも知らないのか。俺の先祖も鬼狩りを生業にしていたと聞いた。そんなにあれこれ騒ぎ立てることじゃないだろ」
普段は寡黙な冨岡が突然饒舌に話し始めたことや、冨岡が一部の生徒から過度に恐れられてることも相成って、しのぶを囲んでいたとりまきはそそくさと散っていった。
しのぶは冨岡のとっさの行動に驚き目を見開いていた。
しかしその場では冨岡に対してなにも言わずにこりと会釈をした。冨岡も別段話しかけることもなくその場を去った。
「あのとき、どうしようかなって、すこし困っていたので、先生に来ていただいて助かりました。ありがとうございます」
しのぶは掃除の手をとめて律儀にお辞儀した。冨岡はそれを受けて「そんなに大したことじゃないだろ」と素っ気なく受け答えながらも、心の内のざわめきが大きくなっていくのを感じていた。
その一連の出来事は冨岡にとって大きな意味を待っていた。
***
『51年9ヶ月と4日、男は待ち続けた』
しのぶはよく気に入った本の一節を冨岡に読んで聞かせた。
それは初恋の女性を生涯をかけて待ち続けた男の恋愛の顛末を描いた有名な小説な一節だった。
「滑稽ですよね、こんなに長い歳月を、たった1人の女性を思いながら生きていくなんて」
しのぶは屈託なく言った。正確には、そういうふうに冨岡にはみえた。
冨岡はこの言葉を聞いた時、この小説の一節も、しのぶの言葉も、まるごと自分のためのものだと思った。
冨岡は胡蝶しのぶという女性知っていた。この世に生を受けるずっと前から知っていた。新しい人生を歩んでいるいまもありありとかつての彼女の姿を思い描ける。
そして胡蝶しのぶもまた、新しい生を受け、現世でふたたび彼の前に現れたのだった。
その事実を知ったのは3年と半年前。彼女がこの学園に入学する1年まえのことである。
街を歩く彼女と彼女の姉の姿に、彼は思わず振り返った。
そして彼女のことを調べ上げ、この学園に入学することを知り、
大学で教員免許を取得したばかりだった冨岡は、この学園に教員として赴任することを選んだ。
しのぶには前世の記憶がないらしく、現に、冨岡の顔を見ても特におかしな挙動をみせるようなことはなかった。
しかし、冨岡はそれで満足だった。
こうして平和な時代に愛する人と生まれ落ち、彼女が最愛の姉と死別することなく、幸せに暮らしているだけで充分だった。
ただ、ほんの少しだけ彼女のそばにいて、彼女を見守っていたいという欲求には負けてしまったが、彼女が学園に在籍しているうちになにか特別な行動を起こすつもりもなかった。
しかし、しのぶが1年生の春、体育の授業で使った用具を返しにこの部屋を訪れた際、彼女は水槽を見つけてこう言った。
「冨岡先生、水槽のお掃除、ちゃんとやってます?」
そうこうしているうちになんだかんだと理由をつけて彼女はこの部屋にやってきて、冨岡と言葉を交わすようになった。
そうして2年と3ヶ月が過ぎた。しのぶはいま、学園の3年生だ。
***
「あの絵、よく描けていた」
冨岡の言葉にしのぶは顔をほころばせた。
「でしょう。渾身の力作なんですよ」
水槽の掃除を終え、しのぶは冨岡のデスクの向かい側にあるソファに腰を下ろした。
冨岡のデスクに肘を乗せ、頬杖をついて冨岡を見つめるまなざしは藤色の淡い光に包まれ、冨岡はつい昔の恋人であった彼女を思わずにはいられない。
「冨岡先生、宿世の縁って、信じます?」
そう切り出した彼女の言葉に、冨岡はギクリとする。さも前世の記憶を想起させるかのような言葉が彼女の口から出てきたことは、今までになかった。
「先生のご先祖様もかつては鬼狩りをなさってた…って、昨日、おっしゃってましたよね。だからこの際、思い切って悩みを冨岡先生に打ち明けちゃおっかなって、思ったわけです」
冨岡はゴクリと固い唾を飲んだ。
「俺でよければ、相談に乗ろう」
その言葉を聞き、しのぶはにこっと満足げに微笑んだ。
「わたし、物心ついた時から、時々、不思議な夢を見るんです。
その夢のなかで、わたしは鬼狩りの隊士として暮らしています。
鬼に家族を殺され、毎日毎日、憎しみを糧に、恐ろしい異形の怪異である鬼との激しい戦いに明け暮れていました。
けれど、そんな日々にも少しだけ穏やかな時間がありました。
それはある人物がわたしのもとを訪ねてくるとき。
その人が旅に出ていて、その安全を祈り手を合わせるとき。
その人のために野菜や魚を煮炊きしているとき。
その人の隣で眠りにつくとき。
…わたしはその人と将来を約束していたのかしら?…あるいは、夫婦だったのかもしれませんね。
わたしは結局、家族の仇である鬼に殺されてしまうのだけれど、最後にその人のことを考えながら死んでいくんです…。
その夢を見ると、あんまり悲しくて、何か大切なものを失ったような感覚にとらわれてしまうものだから、数年前、精神科医をしていた祖父に相談したことがあるんです。
その話をしたら、祖父は『そりゃ、宿世の縁かもしれんな…』とだけつぶやきました。
普段はごく現実主義な祖父の口から、そんな運命論者みたいなセリフが出てきて、そのときはすこし笑っちゃったんですけど、
祖父が持ってきてくれた、うちに伝わる色んな文書とか、古い帳簿とか、アルバムを見ているうちに、
これは人ごとではないなという実感が、自分の中にうまれました。
祖父の家はここから遠いかなり深い森に囲まれた田舎にあって、その森の近くにはかつて、鬼、と呼ばれた怪異と戦うために設立された「鬼殺隊」という組織の本部があったそうなのです。
うちの一族からも、極めて優秀だった姉妹がその組織に入り、中心的な役割を担っていたということが、祖父の持ってきてくれた記録に記されていました。
そしてわたしはその姉妹のたった一枚きりの写真を見つけ、驚きました。
写真にうつる女性の1人と、自分が、瓜二つであることに」
ここまで話してしのぶは、
「勢いよく話したら喉が渇いてきちゃいました。先生、冷蔵庫のお茶、飲んでもいいですか?」
と、いつもの調子ですこしおちゃらけてみせた。
義勇は冷蔵庫を開けお茶を取り出し、2つのカップにそれを注いだ。
「それで、そこまで突き止めてお前はどうしたいんだ?」
カップを差し出され、しのぶはごくごくと喉を鳴らしてお茶を飲んだ。
ぷはーっと満足げに息を吐き、言う。
「どこまでが本当で、どこまでが自分の思い込みかはわからないんですが、なんだかとても大切なことを忘れている気がするんです。それを確かめに、行ってみようと思うんです」
しのぶの言葉に冨岡の胸の内は高鳴った。
「何処へ」
ここまで聞いておきながら白々しくもある冨岡の言葉に、しのぶは、
「決まってるじゃないですか。鬼殺隊の本部があった場所、ですよ」
と胸を張って答える。
「今週末、うちの両親と姉が不在なんです。その合間に祖父母の家へ帰省するという名目で行ってみようと思うんです。それで、…もしよければ、冨岡先生も、一緒に来てくださいませんか?」
***
急な話ではあったが、決まってしまえばとんとん拍子に事は運ぶものだ。
しのぶと出掛けるにあたり、外聞が良くないのではと最初こそ心配したが、
『うちの妹をどうぞよろしくおねがいします』と彼女の姉から直々に言付かるという大義名分を得て、冨岡は週末の小旅行にこっそり胸を弾ませていた。
前世の話とはいえ、彼が愛した、たった1人の女性と、2人で旅行に出かけられるなど、前世でも現世でも考えた事はなかった。
「せんせーっ、おまたせしました!」
待ち合わせ時間の30分まえから待ちぼうけていた冨岡は、遠くから手を振り駆け寄ってくるしのぶの姿に目を細めた。
動きやすさに配慮しつつも、すこし胸元が広くあいたシフォン生地の淡い紫色のトップスを着たしのぶは、若くみずみずしい美しさに包まれていた。
西へ向かう特急列車に乗り込み、ふたりの旅行が始まった。
目的地への退屈な移動時間も好きな相手と一緒なら楽しいものだ。
冨岡は、普段より頰を上気させすこし饒舌になったしのぶを眺め、思わず頰がゆるんだ。
ふたりは愉しげに車窓を眺め、駅弁を頬張った。
鬼殺隊の本部は、奥深い森を抜け、突然開けた地形になってポツンとした集落がわずかにのこっている、落武者の隠れ里のような土地にひっそりと佇んでいた。
目的の駅で特急列車を下車した2人が駅前でつかまえたタクシーの運転手は、本部の所在地がある地名を伝えるしのぶに、「こっから40分くらい先のところまでは車でいけるが、そっから先は徒歩やね。山が深くて車では入れん。今時あんな場所に用がある人がおるなんて、知らんかったなぁ」と、不思議そうに答えた。
タクシーを降り、1時間半ばかり登山をすることになった2人は、夏の日差しに照らされ、額に玉の汗を浮かべていた。
しのぶの服装は動きやすさに配慮した服装にはなっていたものの、胸元の開いたトップスによってしのぶの白いうなじは太陽のもとに晒され、やや赤みをおびてじっとりと汗に濡れている。
冨岡はその大きなてのひらでしのぶのうなじを覆うように日光を遮った。
「すみません。体力には自信があるはずなんですが…」
弱々しく受け答えるしのぶは体力があるようにも見えず、冨岡は近くの湧き水でタオルを冷やし、彼女の首筋に当てた。
「お気遣いありがとうございます…ある程度の登山は想定していたのですが、これほどまで山の奥深い場所にあったとは」
申し訳なさそうに言うしのぶに、冨岡は、「彼女は鬼殺隊のことを知りたいと思っているが、決して記憶が戻ったわけではないのだ」と改めて思い知らされた。
冨岡にとってこの慣れ親しんだ道中はしっかりと記憶の中にあり、技術の発展した現代においても多少の登山はやむを得ないことを知っていたし、かつてのしのぶなら軽々とこの山を登っていけたことも知っていた。
しかし、現代に生きるしのぶは、あの頃のしのぶではないのだ。
冨岡はそれを失念していたことをしのぶに申し訳なく思った。
登山を終え、鬼殺隊本部があるとされる集落にたどり着くと、高い塀に囲まれた一角を見つけた。
冨岡はその荘厳な雰囲気の門の前に立ち、しみじみと目を閉じた。
彼の脳裏には産屋敷邸が襲撃に遭った夜の赤く燃えるような空の色が焼き付いて離れなかった。
100年もの歳月が流れ、いまはその時充満していた血の匂いは消え、建物も意外なほど丁寧に修繕されていた。
冨岡は、現世に生まれ落ち、再び自分がここへ戻ってきたこと、そして、最愛の人がいま、自分の右隣に立っていることに感謝した。
感謝する相手は、神なのか、仏なのかはわからない。
ふと脳裏にお館様の姿がうかび、あの方ならありえなくもないな、と苦笑した。
冨岡が感慨にふけっているうちに、さきほどまで門の前に佇み思案ありげにまじまじと屋敷の方を見ていたしのぶがいなくなっていた。
「胡蝶…?」
しかたなく、冨岡は門をくぐり彼女を探すことにした。
***
しのぶは浮き立つ足を思うがままに走らせた。
冨岡と肩を並べてこの屋敷の前に立った時、しのぶは思わず目を見はった。
(あまりにも、似ている…)
しのぶは夢の中の感覚がありありと生身の自身に蘇ってくるのを感じた。
しのぶは本部のはずれにある大きな屋敷の前で立ち止まった。
あまりに馴染み深いその佇まいに、しのぶは思わず客の身分も忘れて、開け放たれた縁側から、靴を脱いで吸い込まれるように屋敷に入っていった。
夢の中で、鬼との戦いで負傷した隊員を幾人も治療した救護室。家族のような存在であった娘たちと過ごした居間。朝早くから煮炊きに勤しんだ台所。
しのぶの足は、引き込まれるようにして離れへと続く渡り廊下を渡り、気がつけば、離れの一室の前に来ていた。
震える手で襖を開けると、木彫りの蝶の設えが美しい、こじんまりとした部屋があった。ガラス製の丸い金魚鉢には琉金が3匹泳いでいた。壁には古ぼけた写真が飾られている。縁側が開け放たれ、裏庭と門の勝手口が見えた。
(夜になると、あのひとがすぐそばの勝手口からこの屋敷の裏庭を訪れた…)
しのぶは夢の中の薄ぼんやりした記憶を呼び覚ますように、目を細めて、夏の日差しを反射する裏庭を眺めた。
それは、同じ鬼殺隊の優秀な隊士で、美丈夫だったけれど、ひどく無口で、愛想のない男だった。
しのぶは最初はその男の考えることがわからず邪険にしていたが、毎晩飽きもせず、夜が更けると彼女の元を訪れるその男が、どうやら自分を口説いているらしいと気づいた時には笑えたものだ。
そして、いつしかしのぶも男を愛するようになっていた。
ある日、男はしのぶに簪を差し出した。
この時代では、男が女に結婚を申し込む時に、簪を送ることがあった。
『…さんは物好きですね』
男は真剣な眼差しでしのぶに求婚した。
『胡蝶。お前の志は尊いものだ。俺ではお前を引き止められないことはわかっている。これは俺のエゴだ』
差し出された簪は、繊細な蝶の細工が施され、淡い紫色の美しい宝石が、月の光に照らされてきらめいた。
『ひとりで抱え込まないでくれ。俺にも背負わせてほしい。俺を置いて、死ぬな。共に生きてくれ』
しのぶは、その言葉だけで充分だと感じた。この日のことを胸に抱いて死んで行けるなら、もうなんの思い残しもない、なんて美しい気持ちなのだろう、と涙を流した。もうすぐ鬼の毒餌になるであろう自分の身体が、目の前の愛する人の子を宿すことすらままならないことも、よくわかっていた。
そして、その日からひと月も経たないうちに、しのぶは姉の仇敵との戦いで戦死した。
部屋の一室には、夢の中の記憶の通りに桐箪笥があり、熱に浮かされたような足取りでしのぶはよろよろとその箪笥に近づき、おもむろにその上の段の右端の小さな抽斗を開けた。
「あっ」
短い叫びをあげ、しのぶはその場に立ち尽くした。
抽斗のなかには蝶の細工が施された簪が紫色の絹の袱紗に包まれ、大切そうにしまってあった。
今までぼんやりと実感を覚えつつあった夢の感覚が、一気に現実世界に引きつけられた。
愛する人との約束が事実であったことに対する喜びも束の間、
鬼殺隊士、胡蝶しのぶが抱えていた逃れ難い宿命と、恐ろしい鬼の姿を思い出し、心拍数が早くなる。
(どれもこれも、本当にこの身に起きたことだった…)
両親や最愛の姉が目の前で鬼に殺された時の激しい憎悪や、全身の骨を砕かれ、鬼に喰われた感覚が身体中を駆け巡った。
しのぶはふっと視界が暗くなり、その場に倒れ込んだ。
***
かつての鬼殺隊士だった冨岡義勇という男は、今でも対して愛想のない自分がいうのもおかしいが、最愛の姉と親友を喪ってからは、ひどく感情の起伏がない人間だったように、冨岡は思う。
そんな男でも、死ぬまでにたった一度だけ、涙を流したことがあった。
彼には想いあった人がいたが、その女性が抱えた過酷な運命を共に背負うこともできず、かといって彼女にふつうの女としての一生を強要することも出来ず、復讐に取り憑かれた彼女の全身に毒がまわって彼女を蝕んでいくさまを隣でみていることしかできなかった。
彼女に求婚した日、彼は彼女が逃れられない宿命を背負いながらも、自分を深く愛し苦しんでいることを知り、彼は自分の屋敷に帰ったあと、涙が枯れるまで泣き、彼女から身を引くことを選んだのだった。
冨岡は、かつての自分の屋敷の自室に佇み、しのぶとの別れをきめたその日のことを思い出していた。
現世のしのぶがここまで前世の記憶を取り戻しかけていることは想定外だった。彼女がこの場所に自分と一緒に来たいといってくれたことや、記憶を取り戻してくれていることは嬉しかった。
この場所に彼女と来るにあたって、自分の中に淡い期待がなかったわけでもない。
しかし、彼女が全てを思い出した時、かつて彼女をひどく惑わし苦しめた自分をどう思うだろうかという不安が、胸に暗い影を落とした。
もう自分には、週に2、3度、水槽の世話をする彼女をそばで見守るだけの淡い幸せすら、感じる資格はないのかもしれない。
(…それでも、自分には、彼女と向き合う責任が、ある)
冨岡は後ろめたい気持ちを押し殺し、蝶屋敷へと向かった。
***
蝶屋敷は柱の屋敷のなかでも、医療機関を兼ねていることもあり、ひときわ大きな建物だった。
冨岡は蝶屋敷の縁側の脇に、しのぶの履いていたスニーカーが揃えられていたことに気づき、となりに自分の靴を脱ぐと、居間へと続く長い廊下が続き、懐かしい匂いが鼻孔をかすめた。
冨岡が遠方の任務から本部に戻ってくると、しのぶはいつも彼の好物を用意して待っていた。
任務を終えて近くまで戻ってくると、大抵示し合わせたようにしのぶの鎹鴉に呼ばれ、その日は蝶屋敷で夕食をとるのだった。
しのぶは蝶屋敷で冨岡を迎えると、任務を終えて負傷した彼を手当てし、汚れた着物を手入れし、温かい食卓へ彼を招いた。
『冨岡さんの好きなもの、たくさん作ったので、お腹いっぱい食べていってくださいね』
そう言って割烹着のそでをまくるしのぶはどこかうきうきとした足取りで、鼻歌交じりに台所へと消えていった。
冨岡は座布団に腰を下ろし、居間に飾られた写真を眺めた。
彼女の亡くなった家族の写真だけでなく、今しがた遠方に任務に出ている隊士のおびただしい数の写真が飾られ、その下にちいさな小皿が置いてある。
その小皿は、隊士たちが、遠方の地で、食べ物に困ることなく健康に過ごせるよう、祈りを込めて食卓の食事を備えるためのものであった。
しのぶもまた、こうして町の娘たちや母親たちのように、深い愛情を持って周囲の人々の安全と健康を祈っていた。
冨岡は隊士たちや家族の写真に紛れて、自分の写真が飾られていることに気づいた。
その前に置かれた青い小皿が、他のものより、ほんの一回り大きいことに気づいて、彼はムフフと不敵な笑みを浮かべた。
そうこうするうちに、しのぶがいそいそと大皿盛られた鮭大根を盆に乗せて戻ってきて、嬉しげに食卓に皿を並べ始めるのだった。
冨岡にとってこの屋敷は、しのぶとの思い出そのものだった。
だから彼がまっさきにしのぶの自室であった離れを目指すのはごく自然な道理であったといえる。
離れの渡り廊下からは、彼らが逢瀬を重ねた裏庭の懐かしい木立がかつての姿そのままに保存されているのが見え、冨岡はぐっと左胸を抑えた。
離れにあるしのぶの自室に着くと、しのぶが畳に倒れ込んでいるのを見つけ、冨岡は血相を変えた。
彼女の右手にはかつて冨岡が送った簪が握られていた。
(思い出したのだ、自分とのことを)
冨岡はさっと血の気が引くのを感じた。
倒れるほどのショックを受けてしまったのだということか。彼女が目を覚ました時、自分はどんな顔をしていればいいのだろう。
冨岡が途方に暮れていると、背後から人の声が聞こえた。
「随分来るのが遅かったな、水柱」
この声には聞き覚えがあった。自分を水柱だと呼び、人の神経を逆なでするような、嫌味っぽい喋り方をする男。
「伊黒…か…?」
振り向くと、かつての着物の装いとは異なり、二十代前半の若者風な装いの、かつての蛇柱、伊黒小芭内が腕を組み呆れ顔で立っていた。すると、渡り廊下を小走りに渡る足音が聞こえてきた。
「まって〜伊黒さん!先に行っちゃうなんてひどいわ!!」
声に続いて、桃色の髪をした美少女が姿を現した。
恋柱、甘露寺蜜璃だ。
「冨岡さん、しのぶちゃん、また会えてほんっとうに、嬉しわ!」
***
しのぶを布団に寝かせ、伊黒がどこからともなく持ってきた扇風機を回し、蜜璃が冷たい水を絞ったタオルをしのぶの額に乗せた。
冨岡は、2人が記憶を持って現世に生まれ落ち、大学生をしていることや、同じ大学の同じゼミの先輩後輩同士であること、産屋敷財閥が復興させたこの本部で夏休み中のアルバイトをしていることなどを説明された。
「だから、さっき門の前に2人が現れた時はびっくりしたわ、ふたりとも昔のままの本部を目の当たりにして立ち尽くしてたから、こちらには気づいていなかったけど」
うふふと笑う蜜璃の言葉に、冨岡は冷や汗をかいた。
あの近くにこの2人がいたことに全く気づいていなかったどころか、しのぶをとなりに侍らせてすこし浮かれ気分の自分の姿を見られたかと思うと、こっぱずかしくて堪らない。
「本来ここは歴史研究施設として、一般公開をしていないんだ。したとしても、期間を限定して一部の本部棟だけを有償で公開している。にもかかわらず、受付を素通して勝手に入っていくお前たちの神経も大したものだ」
嫌味ったらしく伊黒が言うが、蜜璃が、
「あら。でも、伊黒さんったら、2人の姿を確認するなり、冨岡さんの屋敷と蝶屋敷の門の鍵を開けに走って行ったのよ」
そういうところも素敵…とばかりにうっとりと言うものだから伊黒は今は隠していない口元をまごまごさせ耳まで真っ赤にした。
甘露寺は眠っているしのぶを愛おしげに見つめ、すうすうと寝息を立てる彼女に話しかけるようにつぶやいた。
「でも本当に嬉しいわ…しのぶちゃん…わたしたちは本当に仲のいいお友だちだったわね。あなたに、ありがとうも、大好きも、なんにも伝えられることなく、あなたは逝ってしまった…また現世でも会えたなら、お茶をしたり、一緒にお料理したりしたいなって、ずっと思っていたから…」
涙を浮かべながら語る蜜璃に、伊黒が思わずもらい泣きしそうになっているのに気づき冨岡はしんみりとした空気にもかかわらずすこし吹き出しそうだった。
すると、どこからともなくささやくような声が聞こえてきた。
「…なに、にやにやしてるんです…冨岡さん。笑うところありました?そんなだから、みんなに嫌われちゃうんですよ」
目の前の2人の顔がぱっと明るくなり、冨岡はすこし遅れて、となりに寝ていたしのぶが起きたことに気がついた。
そして冨岡は声を震わせて、答えた。
「…俺は…嫌われて…ない…」
こんなやりとりもいつぶりだろうか。しのぶと冨岡にしかわからないいくつもの会話を、今ではしのぶも鮮明に思い出しているのだろうか。
突然、流行りの女性歌手の曲が大音量で鳴り響く。
静かな部屋には似つかわしくないポップな曲調だ。甘露寺のスマホの着信音らしい。
ピンクのスマホが彼女のポケットから慌てた手つきでとりだされた。
ディスプレイに映し出された名前を確認するなり、甘露時は顔を輝かせた。
「お館様からだわ!2人が来たこと、さっき連絡しておいたのよ。伊黒さん、たぶんお館様が到着されたんだと思うわ。ちょっと麓までお迎えにあがりましょう」
冨岡さんはしのぶちゃんをよろしく、と2人はいそいそと部屋を出て行った。
伊黒と甘露寺に取り残された冨岡は、正直その場から逃げ出したいような気がした。
生まれ変わってもなお、しのぶを愛していることは確かだが、全てを思い出した彼女にいったい何を語ればいいのだろう…。
しかし、そんな冨岡の不安をよそに、しのぶは身なりをただし、冨岡の正面に正座した。
「この屋敷に着いた時、鬼殺隊士だったころのこと、ちゃんと思い出したんです」
しのぶの瞳は涙で濡れていた。
「…思い出したのか」
冨岡は思わず声をうわずらせ、しのぶの両肩を掴んだ。
「はい…細部はおぼろげな部分もありますが、バラバラだった記憶の大筋は繋がった気がします。さっきは童磨に喰われた時の感覚を思い出して、すこし気を失ってしまって…」
淡々と語るしのぶの表情は硬く、伏し目がちに畳の目を色白の細い指でなぞる。
そんな彼女から感情が読み取りにくく、冨岡の胸には不安が渦巻いた。
(もし…彼女が全てを思い出したことを後悔していたらどうしよう…)
そんな冨岡の心配をよそに、しのぶは流れる涙をぬぐい、決意したような表情で冨岡の両手を胸の前にあわせ、自らの両手で包み込んだ。
「胡蝶…?」
不安げに冨岡がしのぶの顔をのぞき込むと、彼女は潤んだ瞳ですこし眉をひそめ、そしてゆるりと微笑んだ。
「あなたは…少しもおかわりないですね、冨岡さん」
しのぶは冨岡の顔をじっとみつめ、布団の脇に置かれていた簪を冨岡に差し出した。
冨岡はしのぶの行動に頭が追いついていない。
これから告げられる彼女の言葉に、期待してもいいものか、冨岡はまだ決めあぐねていた。
「記憶こそ失ってはいましたが、わたしだってちっとも変わっていなかったんですよ」
微笑むしのぶが続けた。
「生まれ変わっても、また同じ人を好きになっていたんですから」
冨岡は目を見開き、しのぶの言葉を脳内で反芻した。あまりに信じがたい告白に、冨岡はうろたえた。
「高校で初めてお会いしたときから、わたしは冨岡先生が好きでした。高校を卒業するまでは、黙っているつもりだったんですが」
冨岡は、自分の恋愛感情を押さえつけるのにあまりに必死になりすぎて、今までまったく彼女の気持ちを考えたことがなかったことをを恥じた。
彼女が再び自分を好きになってくれるなど、考えることすらおこがましい気がしていたのだ。
「す、すき…ほ…ほんと…ほんとに…?」
動揺のあまり言葉にならない。
その様子を見て、しのぶはいつもの鈴を転がしたような声で笑った。
しかし、彼女の瞳は優しい光に満ちていた。
「冨岡先生が、わたしを好いていてくれたことは、ずっと気がついていましたよ」
ただ、こんなに前世でご縁があったとは、想定外でしたけど、としのぶが微笑みながら冨岡の頬を撫ぜた。
冨岡は自分が泣いていることに気がついた。
「永いあいだ、苦しい思いをさせて、すみませんでした…もう、大丈夫ですから」
冨岡は耐えきれずしのぶを抱きしめ、嗚咽しながら泣いた。
しのぶはその細い腕を冨岡の背中にまわし、抱きしめ返した。
「もう、どこにも、行かないでくれ」
絞り出すような声に、
「はい。今度こそ、冨岡さんといっしょに…」
100年待ち続けたしのぶの返事に、冨岡は堪えきれず彼女を引き寄せて口づけた。
しのぶもそれを受け入れた。
もう、胸が張り裂けそうな思いをしながら、愛する人との別れに耐えなくてもいいのだ。
2人は抱き合ってその喜びをわかちあった。
***
夏休みが始まって2週間が過ぎた。
冨岡の自室には最近金魚鉢が増えた。ひんやりとした部屋の片隅で、琉金が3匹、心地よさそうに水の中を漂っている。
水槽の真向かいにセミダブルサイズのベッドが置いてある。
そこに、冨岡としのぶが寝起きのまどろみを感じながら横たわっていた。
しのぶは、艶やかな黒髪を真珠のように淡く光沢を放つ裸の肩に垂らして、ベッドに寝そべったまま、頬杖をついて水槽を眺めていた。少女とも女性(おんな)ともつかぬ彼女の曖昧な美しさを、絵画のような朝の光が色鮮やかに照らし出している。
冨岡はその光景をすこし眩しく感じながらも、クーラーの効いた部屋では肩が冷えるだろう、と腕枕のためにしのぶの胸元に敷かれた腕を回し、彼女の細い両肩を手のひらで包んだ。
冨岡の腕が回されると、彼女は心底嬉しそうな、すこしはしゃいだような声を上げて、すっぽりと彼の身体の中に収まるよう向き直った。
華奢な四肢にそぐわぬ豊満な胸が光にさらされながら、冨岡の胸板にぴったりとくっつく。
外からは祭囃子の笛の音が遠く微かに聞こえている。
今日は冨岡の暮らすマンションがある地区の夏祭りの日である。
しのぶと冨岡は抱きあい目を瞑ってその音に耳を傾けた。
ふと、しのぶがつぶやいた。
「憶えてます…?わたしが金魚を飼い始めたのは、冨岡さんがきっかけだったんですよ」
冨岡は目を閉じたまま、しのぶの髪を優しく撫でる。
「ああ…任務に同行した帰りの縁日で…」
冨岡の言葉にしのぶは嬉しそうに頷いた。
「そうそう、冨岡さんったら、金魚すくいの出目金が、あまりに酔狂な顔をしているとか言って、躍起になって金魚をすくって…飼える設備なんて持ってなかったのに。仕方なくその日の夜は家の適当な器に入れて、次の日に金魚鉢を買って…でも結局面倒を見きれなくなって、わたしのところに鉢ごと持ってきちゃったんですよね」
目を閉じたままの冨岡は、くつくつとこらえたような笑い方をするしのぶの胸の小鳥のような小さな鼓動を感じ、昨晩の情事のなまめかしさが身体に蘇ってくるのを感じた。
「人の世話をすることに関して、お前の上を行く者を俺は知らないからな」
彼が上の空で答えると、しのぶは頬を膨らませて「金魚は人じゃないです」とむくれた。
冨岡はしのぶの背中を撫ぜて、彼女の小さな尻をゆるく揉んだ。その小さな戯れに、しのぶがくぐもった声を上げる。
両手でぐいっと冨岡の胸板を押して抵抗の意思を見せるものの、冨岡は意に介さず愛撫を続ける。
しのぶはくすぐったくて身をよじらせるが、冨岡は逃げるしのぶの腰をぐっと引き寄せ、抵抗する右腕を掴み、ベッドに押し付けた。
「昨晩じゅうぶんしましたよ?」
いたずらっぽく微笑むしのぶに、冨岡は懇願するように言う。
「100年待ったんだぞ」
しのぶはまたくすくすと笑った。
「わたしはこれから先、ずっとそう言われ続けるんでしょうねぇ」
冨岡は、抑えつけていたしのぶの右手を解放し、彼女の腹に恐る恐る触れ、少しすると、くるくると優しく撫でた。ハリのある肌は健康そのもので、一点の傷もない。冨岡は目を閉じてしのぶの頰に擦り寄った。
かつてしのぶの体は藤の花の毒にむしばまれ、肌もまばらに藤色に染まっていた。
しのぶが苦しみながら肌をさする時、冨岡はいつも彼女の身体を引き寄せ抱きしめてくれた。
行為の最中に嘔吐してしまったこともある。涙交じりに苦しむしのぶの背中をいつも冨岡は支えていた。
あまりにむごいことだ、としのぶは思う。
この人は、死にゆく自分を一番間近で見守り続けていた。
そして、自ら望んで死にゆく自分を引き止めることも、無理矢理に毒の服用をやめさせることもせず、ずっとしのぶの意思を尊重し、弱音も吐かず、目をそらさずに、ずっとそばにいてくれた。
「ありがとうございます…義勇さん。ずっとわたしを待っていてくれて」
自分のために人生を生きられること、愛する人のそばにいられること、愛する人と家庭を築いて、おばあさんになるまで生きていられること。こんな日々が来るとは思っていなかった。
「しのぶが行きたいところ、全部行こう。食べたいものも全部食べよう。しのぶのやりたいことが落ち着いたら、結婚して、子どももたくさん作ろう」
冨岡が生真面目な表情でしのぶの手を取り熱く語った。
しのぶは「義勇さんの助平」とすこしはにかみながらおちゃらけて見せたが、顔が綻ぶのを隠せない。
「嬉しい。義勇さんと、また会えてよかった。今度こそ、ずっと一緒にいたい」
と、指を冨岡の指に絡ませた。
冨岡は満足げに頷き、しのぶの唇に口づけた。
日はどんどん高くなるけれど、これからまた、昨晩のように睦み合うのだろう、としのぶは思った。