開け放した車の窓から吹き込む風に、ショウが目を細めた。
あたりは野原一面に菜の花が咲き乱れ、彼女が乗っている軽トラックのエンジン音と、近くに流れる川のかすかなせせらぎ、車に備え付けられた古めかしいオーディオから流れる陽気な音楽と人の声だけが聞こえてくる。
とても静かでさわやかな春の陽気だ。
ヒスイの原野を駆けていた頃と同じ、濃厚な草木の匂いがした。
隣で運転しているウォロは何も言わず、すこし気だるげにハンドルを握っている。
ショウは思い立って数分前に寄ったコンビニで買ったカフェラテの蓋を開けてみた。
それを見ていたウォロが思惑通り「ひとくち」と言うので口をつける前に渡してあげたら、とてもひとくちとは思えない量が目減りしたカップが戻ってきた。
しかしショウはそれを気にもとめずにニコニコとカフェラテを口に運ぶ。
今日は、ふたりのはじめてのデートだ。
一緒にいるようになってずいぶん経ったような気がするものの、生活に必要な用事以外の理由でふたりで外出するのは今日が初めてだ。
正直なところ、ショウは暇さえあれば家にこもって互いの身体を貪りあってばかりいる自分たちに不安を感じていた。
彼はどうやら彼女を妻に娶る気でいるらしいが、それにしてはショウの知っている「恋人」像と自分たちの関係はかけ離れているように思えたからだ。
毎晩恒例の情事のあと、彼女が勇気を振り絞って提案したのが1週間前のことだった。
「あの、わたしもウォロさんと一緒に外出とか、してみたいです……」
渋られるだろうか、と思ったが彼の返事は意外なものだった。
「ああ、そんなことですか――最近は暖かいですし、いいですよ」
と、彼は自分の腕の中に埋もれている彼女の髪が汗でおでこに張り付いているのをはらってやりながら機嫌が良さそうに答えた。
それからというもの、とんとん拍子にことは運んだ。
ちょうど週末が桜の見頃と重なって、ウォロが花見の穴場を探してきてくれた。家の近くにいくらでも桜は咲いているのに、少し遠出しようと言い出したのは彼だった。
こうしたことにあまり頓着なさそうな彼が週末の準備に熱心なことは意外で、普段はまず自ら話しかけようとしない苦手な後藤さんに、車だけでなくブルーシートまで借りてくる気合の入れようにはショウも度肝を抜かされた。
うちに2人くらいなら余裕を持って座れるレジャーシートがあったのに、なぜそうしたのかはわからないが、普段と異なる珍しい彼の様子はショウも見ていて微笑ましかった。
そして、今に至るわけだが――ウォロの運転する車は、自宅を出発しておよそ1時間半ほどすぎたころに停車した。
誰の所有地なのかもわからない広い空き地の隅に車を停め、そのまま森の中へと歩いていく。
ショウはもっと人が多く賑やかで、出店や屋台なんかも集まるような桜の名所を想像していたので、すっかり拍子抜けしていたが、ウォロがどんどん森の奥へと突き進んでいくので、置いて行かれまいと夢中で追いかける。
そのうちに鬱蒼と木々が茂る深い森の中で、陽の光の差し込む開けた場所にでた。
「――わぁ……」
ショウが思わず感嘆する。
満開の桜の木が、奥深い森にできた小さな広場を円で囲むように美しく並んでいた。
はらはらと絶え間なく花びらが春の陽射しの中を舞う様子はあまりに美しく、幻じみて見えるほどだ。
「夢のなかにいるみたい」
ショウがうっとりと目の前の光景を眺めながらつぶやいた。
その様子を見ていたウォロは得意げに笑い、彼女にそっと手を差し伸べた。
「でしょう?仕事をサボッ――仕事の合間の休憩に、この辺りを散策していて見つけたんです」
彼に手を引かれるがままに、木々の間をゆっくりと歩く。
「いま、仕事サボってたって言いかけたでしょ」
「ショウさんこそ、よく授業中にLINEしてくるじゃないですか」
軽口を叩きあいながら、一番景色がよく見える場所にブルーシートを敷いた。
ウォロの下げている荷物は異様に大きく、大きなブルーシートの他にも毛布なんかも入っているようだった。
ショウはそれを不思議に思いながらもてきぱきと弁当や茶を用意する。
彼女が朝5時に起きてつくった力作の花見重はふたりで食べるにはすこし多すぎたが、手間ひまがかかっているだけあって確かに美味しく、普段はあまり食べ物に頓着のないウォロも美味い美味いと箸が進んでいた。
ショウは、こうして屋外で誰かとお重を囲むのがずいぶん久しぶりに感じて「なんだか運動会みたいですね」と言おうとして口をつぐんだ。
目の前にいる彼はヒスイからやってきた、ショウとは本来交わることのないはずだった時代や文化を背景に持つ人物だ――そのことを、最近はつい忘れそうになってしまう。
彼はこの世界に飛ばされてきても持ち前の好奇心と明るさ(これはやや表面的すぎるきらいがあるものの)で驚くべき順応力を発揮していたし、村の人からも(本人が好むと好まざるは別として)好かれていた。
しかし、肝心の本人が今の生活やこれからのことをどんなふうに考えているのかはショウにはわからない。
急に不安になって彼のほうをちらりと見遣ると、彼はショウの作ったタコさんウインナーを「なんともキテレツな形ですね」としげしげ眺めているところだった。
そもそも彼は、ショウと出会うまでどんな人生を歩み、どんな生活を送ってきたのだろう――ずっと気になっていたことだが、訊いていいものやらとあれこれ悩んで二の足を踏んでいるうちに結局訊けずじまいだ。
ショウがどことなくしょんぼりしているのを余所におにぎりや唐揚げ、卵焼きなどを掻き込んで満腹になったウォロが、パンパンになったお腹を抱えてシートの上に寝転んだ。
「あ〜、満腹です。もう食べられません」
「もう、ウォロさん!食べてすぐ寝たらカビゴンになっちゃうんですからね!」
ショウが小言を言うと、ウォロはニヤリと微笑み、寝そべったまま隣をポンポンと叩いて彼女も横になるよう促した。
「まあまあ、ショウさんも一緒にいかがですか。いい眺めですよ」
わたしはいいです――とショウは首を振るつもりだった。が、愛しい男が目の前で寝そべり、自分に腕と肩を差し出しているのを無碍にする乙女はいないだろう。
まんまとウォロの側に近寄って、引き寄せられるがままに彼の腕枕に収まった。
気温は高く、ひだまりの中はぽかぽかと暖かかったが、彼の温かな体温に触れるとすっかり安心して身体中の力が抜けた。
彼がショウに微笑みかけながら、頭上を指差す――幹には花が狂い咲き、春の陽気のやわらかな風にのって、宙一面に無数の花びらが舞っていた。
彼の頬やショウの髪の上に、はらりはらりと清らかな新雪が降り積もるように降りてくる。
その光景を見ていると、とても幸せで満ち足りているはずなのに、胸の奥が詰まるような、深い悲しみが同居しているような気分になって、ショウはなにも言えなくなった。
それを知ってか知らずか、ウォロが彼女を抱き寄せてキスをした。
屋外でのスキンシップに抵抗のあるショウも最初は甘んじてそれを受けていたが、しだいにキスが深く執拗になっていくことに戸惑い始めた――彼女の身体にはいつのまにか毛布がかけられていて、スカートの中には彼の指がそっと忍び込んできた。
――何かがおかしい、と気づいた彼女が覆いかぶさる彼の身体の下で踠きながら必死に訴える。
「え、ウォロさ…あの、まってっ!」
「……なんです」
キスを中断されて不満げな彼の様子にいっそう疑念が深まる。
「えっと……まさかここでしないですよね?」
「は?何のことです」
「う……えと、ここでセックスするつもりじゃないですよね?」
「しますけど」
即答され、ショウはまたもや言葉を失った。
「恋人同士がふたりきりですることなんて、ひとつしかないじゃないですか」
彼は笑っているが、その表情には有無を言わさぬ凄みがあって、ショウはただ怯えることしかできない。
「そもそもアナタが言ったんですよ――『ウォロさんと外でしたい』って」
――いやいや、そんなことは一言も言ってない!
心の中で叫んでみるも、ショウは無力だった。
予想だにしなかった出来事に頭の中がぐるぐるした。
しかしその一方で、わかってきたこともある。
所詮、現代人としてこの世に生まれ落ちた彼女と彼とでは、恋愛に対する価値観や文化があまりに異なっている。
それなのに、彼との身体の関係に独りよがりに悩んだり、自分の理想の恋人像を汲み取ってくれるんじゃないかと期待するのは、筋違いも甚だしいのではないか。
黙っているショウに語り聞かせるように、ウォロは続けた。
「ワタクシが生まれた村の若い男女は――たまにこうして美しい景色の見える場所で、ひっそりと逢瀬を重ねていたものです」
まぁ、その頃ワタクシはまだ幼く、ただそれを遠くで見ているだけでしたが……と遠い目で宙を舞い続ける桜の花びらを眺めている。
このひとはこのひとなりの愛しかたを、彼女に実践しようとしてくれていただけなのかもしれない――そんな考えがショウの頭に閃きかけたが、依然としてふたりの間には抗い難い過去の因縁が横たわっていた。
「ウォロさん、わたしたちは……愛し合っているでしょうか」
気づけばそんな直球な言葉が口から滑り出していた。
彼は遠くを見つめたまま、言葉を選んでいるかのように、少し間をおいて返答した。
「正直なところ――わからない、というのが答えです」
ショウは彼の言葉にじっくり耳を傾けていたが、今しがた「わからない」と突きつけられた現実にまた胸が重くなった。
彼は苦笑しながら、浮かない顔をしている彼女の頭にそっと手を置いた。
「ワタクシには誰かの人生に深く関与した経験が欠如している。ずっと周囲の人々に囲まれていたアナタとは違って」
悲しむでもなく自嘲するでもなく淡々と彼が言った。
ふと、ギラティナと対峙した時のことを思い出す。
『ワタクシは結局ひとりでしたが』
勝負に負けた彼が放ったこの言葉を、彼女は片時も忘れることができずにいた。
側から見て、ヒスイで暮らす彼が孤独であるようには見えなかった。手持ちポケモンたちは彼に本当によく懐いていたし、村や商会の人たちに囲まれていたのは彼だって同じなのに――なにが彼を孤独たらしめるのか。それを他者が理解できる日はきっと来ないのだろう。
考えていると寂しくて泣き出してしまいそうだった。けれど同時に、誰かを強く求めながらも孤独を振り切れない彼の弱さに同情してもいた。
ショウが胸の内で悲しみを堪えていると、彼は彼女顔を見てうっすらと微笑んだ。
そして寝そべったまま、空に視線を移して言った。
「この場所を見つけた時……ワタクシが真っ先に考えたことは、綺麗だとか嬉しいとか以前に、ああこの場にアナタがいないのが残念だと――そう思ったんです」
突然の告白に、ショウはただ驚いて彼の方を見た。
周囲には相変わらず桜の花びらが舞い落ちてきて、彼の美しい金色の髪に降り積もっている。
「ワタクシには愛というものがわかりません。でも、アナタと一緒にここの桜を見に来たいと思ったことは、紛れもない事実です」
彼が、隣で寝転んでいるショウをふたたび見つめた。彼女は顔を赤くして彼の顔を凝視している。
「わかってもらえましたか?」
その瞳は微笑んでいなかったけれど、彼女を恨んでいるようにも見えなかった。
祈っているようにすら、見えた。
ショウは返事の代わりにゆっくりと彼を引き寄せ、自分からそっと口づけた。
彼はそれを受けてにこりと微笑むと、絵本の中の王子様みたいにうやうやしく彼女の顎に手を添えた。
ショウは身震いしながら、こんな手練手管、いったいどこで覚えてくるのだろうと頭の片隅で考えた。
彼がそっと彼女の服を乱していく。
脱がされたコート、すべて外されたシャツのボタン、捲し上げられたロングスカート。
服を着たままこうして乱れるのは初めてだったから、妙に小っ恥ずかしいうえ、彼は服をきちんと纏ったままでいるのがなんだか無性に腹立たしかった。
ショウが文句を言うと、「だって寒いじゃないですか」と苦笑しながら返答があった。
「わたしだって寒いのに」
彼女が唇を尖らせると、
「大丈夫。すぐに熱くなりますよ」
と、涼しい顔のまま毛布をかぶって彼女に覆いかぶさった。
ショウはいまだ不服だったが、こんな強引な彼がショウのために毛布を用意しここまでやってきたことがなんだか可笑しくもあって、気づけば彼女は微笑んでいた。
「どうかしました?」
彼が訝しげな表情で尋ねてきたので正直に打ち明けると、「これはひ弱な現代人のアナタへの配慮です」と生真面目に受け応えた。
「ワタクシの子を宿す大切な身体に何かあっては困りますから」
彼は相変わらず澄ました顔をしている。
その言葉に深い意味がないことは分かっていても、ショウは顔を真っ赤にしてまた俯いた。
16歳のうぶな彼女は彼の方を見るのすら恥ずかしくてたまらない。
彼女が大人しくなったのをいいことに、ウォロはショウの肌に口を寄せた。
白くきめのこまかい肌に正午の高い陽がさして、きらきらとつやめくひかりは虹色をしていた。
ショウはよくウォロのことを美しいというが、実のところ彼にとっては彼女の艶やかな黒髪や白い肌、凛としたまなざし、毅然としたふるまいこそが何より美しいと思った。
高校のセーラー服を着て、無邪気な笑顔でころころ笑っている彼女は、側から見ればさぞや穢れを知らぬ乙女に見えるだろう。
そんな彼女をこうして蹂躙しているのが自分だという事実は麻薬のように彼を酔わせ、毎晩の行為に駆り立てる。
彼は彼女のショーツをさっと奪い、自身をあらわにする。
ねっとりとした彼の粘膜が赤くぬらぬら光り、眩い陽光の中でそこだけが夜の気配を纏っているように見えた。
外気に晒された肌の上に体温の高い手のひらが這い、ショウの胸を彼の唇が吸った。
彼女は恥ずかしさをやり過ごそうとぎゅっと目を瞑っている。
彼はやがて彼女の閉じた蕾に自身を充てがってぐちぐちと先端を抽送し、アイスクリームをそっと舌先で掬うように彼女の乳房の先端を丁寧に舐めはじめた。
確実に彼女の気持ちいいところを知っているはずの彼が、彼女が目を閉じて口を固く結んでいることに抗議するようにひたすら焦ったい動きを繰り返す。
ショウは思わず目を開けた。
「もう、いや……」
ウォロはそれににやりと口角を上げた。
「おやおや、嫌でしたか?」
ならやめましょうかと彼は言い、ちゅぽ、と音を立てて容赦なくそれが引き抜かれると、胎の奥が物欲しそうにきゅうきゅうした。
潤んだ彼女の中から抜かれた彼の先端は目も当てられないほど濡れそぼっている。
「ち、がう……ちゃんと、挿れてほしいの……」
ひどい科白に眩暈がした。
彼は満足げに彼女のおでこにキスをする。
「じゃあ――ちゃんとおねだり、してください」
できますよね?と、意地悪な表情を浮かべて目の前の男がゆらゆら笑っている。
彼はいつだってショウに自分を選ばせたがった。
状況が状況だけに、今回ばかりは口をつぐみそうになったが、彼にすっかり解された身体の内側が熱くて我慢が効かない。
「ウォロさんがほしいの……だから、挿れてください」
吐き出すように言い切ると、空腹の獣のようなざらついた瞳の彼が彼女の耳に噛みついてきた。
「ほら…どこに挿れてほしいんですか?」
「こ、こ……に」
勇気を振り絞って自分の濡れた蕾にそっと触れてみる。が、
「わかりませんね」
と冷酷にも一蹴されてしまった。
彼女の耳を彼の舌が焦ったそうに舐るたび、身体の奥がゾクゾクと跳ねた。もう、気が狂いそうだ。
「ここに、挿れて…くださ、い」
蕾を指で押し広げて懇願する。恥ずかしさのあまり、目尻に溜まっていた涙が流れた。
彼は彼女の言葉を聞くなり、荒い息のまま彼女の脚を持ち上げ、もう待てないとばかりに己をずぶりと彼女の中に埋めた。
頭の奥が痺れるような快感の波に意識がさらわれないよう、ショウはぎゅっと目を瞑り両手で口を塞いだ。
すると彼は彼女の両手を取り払ってキスをした。
「声、聞かせてください……どうせ誰も聞いていませんよ」
合わさった二人の粘膜とその匂いのなかに混じる、野生と森の気配。
絵に描いたような美しい春の情景の中で、欲望のままにまぐわいつづける自分たちだけが異質だ。
それはこの世界での穏やかな日々の中に埋没しているウォロとショウの過去の決裂のように、ショウの心に影を落とした。
彼女は耐えきれなくなって、ずっと堪えていた言葉をつい口にしてしまった。
「ウォロさん、愛してる」
彼女の言葉が春の日差しの中に溶けていく。
「あなたがずっと愛をわからなくても、たとえあなたが望まなくても、わたしはあなたを愛してる」
この言葉は彼にちゃんと届いているんだろうか、世界にひとりぼっちでいるような気分に見舞われながら、必死に言葉を吐き出しているとまた涙が溢れてきた。
彼は応えるようにそっと彼女の瞼に口づけた。
「ええ。愛してください――アナタがどこにも行けないくらい深く、永遠に、ワタクシだけを愛してください」
その返答の救いようのなさに、ショウはまた苦笑した――けれど、それがこの世界にやってきて少なからず変化した、彼なりの精一杯の答えであることは分かっていた。
彼は強くないから、自分が孤独でないことを認めることができない。
ほんとうはショウだって、見方を変えればずっと孤独だったと言えるかもしれない。
ヒスイで英雄となった彼女を、当初は誰も心から歓迎することはなかったし、状況が変われば誰しもが彼女を見捨てようとすらした。
けれど彼女は自分を孤独だと思ったことはない。
なぜなら、金色の髪にいくつも花びらをつけたまままぶしそうにこちらをじっと見つめている彼への思いが、けっして彼女を孤独にはさせてくれないのだから。